異見交論20「大学教育を深める『道徳』 特別教科化への期待」ロバート キャンベル氏(東京大学教授)

ロバート キャンベル 東京大学教授。中央教育審議会教育課程企画特別部会専門委員。米ニューヨーク生まれ。専門は近世・近代日本文学。58歳。

 小中高校で2020年度以降に順次実施される学習指導要領の骨格が固まった。中でも注目を集めているのが、今年3月の一部改定で特別の教科とされた道徳だ。国のつくる「道徳」がどのような色合いを強めていくのか、海外からも注目されているという。骨格のとりまとめに当たった中央教育審議会特別部会の委員、ロバート キャンベル東京大学教授に、込めた思いを聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)


 

――8月に行われた中央教育審議会特別部会の席上、「アクティブラーニングの核になるのが道徳」「だからこそ道徳性の定義を」と発言されていたことがとても印象に残りました。発言の趣旨をお聞かせください。

 

キャンベル 道徳の特別教科化について、海外のメディアはすでに注目しています。道徳を一つの教科として取り出すことは、米国では聞いたことがありません。たとえば道徳の要素の一つである「愛国心」を、米国では昔は公民科(civics)、最近は歴史で学びます。ワシントンの業績などを学び、その生涯から学び取る。つまり、教科の中に埋め込んであるのです。道徳だけを取り出し、しかも他教科との「ハブ」、結節点として特別に位置づけるというのは、世界的にも珍しいのではないでしょうか。

 もう一つ注目される点は、日本のように中央集権的な国で政権がつくる「道徳」です。政権の思惑に沿うような内容になると懸念する向きもあるでしょう。そうではないということを私たちも見届けたいので、道徳性とは何か明確な定義を求めたのです。

 

――ご自身は、道徳性についてどのように考えていますか。

 

キャンベル 道徳という言葉は、そもそも誤解を招きやすいと思います。善人になる、悪を憎み、善だけでできている真人間になるというふうに捉えられがちです。

 でも、そもそも人間の営みは陰影に富むもので、正しい、間違っていると言い切れない場面もたくさんあります。集団の規範を守り、行動するということは、社会で生きるためには必要な力ですが、そこに終始すれば「空気が読める人」は「道徳的にいい人」という浅い理解にとどまります。

 生きづらさの中でどう生きるか、協調性と自律性のバランスをとりながら、どこまで他者と協調しながら暮らすのか、時には集団のルールを変えたり、そこから離れたり。人間の進退を決める原動力、個としての行動規範や世界観につながる核、それが道徳性ではないか、と考えています。

 

 

■アクティブラーニングの核

――人間の進退を決める原動力が「道徳性」・・・。

 

キャンベル 人間の進退というと大仰に聞こえますが、幼い頃からやっていることです。例えば中学生が部活で後輩に頼られているけれども、受験を目前に控えていて力をさけない、さあどうする......。人と交わり、考え、行動することが道徳そのものではないかと思います。

 これまで、日本の道徳教育は読み物中心で、先達が単にこんなことをやり遂げたということを読むことに力を入れていたと聞いています。今度の道徳はまさにアクティブラーニングです。生徒がフィールドワークをしたり、調べ物をしたりして自ら問題を見つけ、自分で解決方法を考える時間にする。ほかの教科ではできないけれど、ほかの教科に波及していく力。それが、道徳の時間で養えるのではないかと思います。

 日本の教育は、知識をまんべんなく習得させていますが、個性や自立心、学ぶ楽しさについては改善する余地があります。自分たちで学ぶ目標を設定させ、時には教科と教科の仕切りを超え、批評し合う......、そこが日本の公教育に欠けています。その核としての「特別教科 道徳」、いわば教育の要としての道徳に期待をしています。

 

――中教審の特別部会では「アクティブラーニングの核」とまで指摘していましたね。

 

キャンベル 医療倫理や生命の尊厳など、中学生でも議論が可能な、道徳教材になりうる課題はたくさんあります。災害からの復興もそうでしょう。利害の不一致が起こることもあるでしょう。そこで多くの人たちと向き合い、調べ、議論し、考える。これこそが新しい時代に求められる道徳教育ではないでしょうか。

 そういう経験を重ねた生徒たちが大学生になったとき、大学に対する期待値が高まるはずです。それが私は一番楽しみです。道徳教育の充実は、大学での学びを深めるためにはとても重要なことです。

 

――現実の学生を見ていて実感されることはありますか。

 

キャンベル そうですね。1年生を見ていても、知識習得の偏重に終始してきたことがよくわかります。与えられた課題は確実にこなせますが、このことについてどう思うか、と意見を求めると黙ってしまうことも珍しくありません。調べたり自分の意見を発表したりという経験を積んでいないので、集中的に1年の時からアクティブに学ぶ習慣をつける必要があります。

 

――道徳は、専門の教員養成をしていないこともあり、研究が進んでいません。教材作りもかなり難航するのではないかと思われます。

 

キャンベル 私たちの人文学に、教材がふんだんにあります。文学は人を勇気づけたり、感動させたりする一方で、生きづらい世界の中でどうやって生きるか、ということを常に問いかけています。それが文学の普遍的な力で、道徳そのものだと思います。

 特に近代日本の文学はしがらみから個を解放することを描いてきました。太宰治の小説を読むとよくわかりますね。故郷の息苦しさ、そこでの封建的な人間関係からどうやって個を解放するか、一見、背徳の世界を描いているように見えるが、彼は常に命の愛しさについて問い続けていた。

 比喩的な表現を使いながらも、生きる感動やつらさをうたった和歌を素材に、人生を考えることもできます。国語とは異なる授業を作れるのではないでしょうか。漢詩も人間の交わりを28文字の七言絶句に書いています。何百年も前の人たちとの共通点や違和感、社会における個のありよう、人と人との信頼関係など、道徳の教材になるものはいくらでもありますよ。

 

――大人になるための教育ですね。

 

キャンベル 東京五輪の「エンブレム」問題もそうですが、うねりのような盛り上がりを見せ、しかも短期間に決着をつけなければいけない問題が、今のネットの社会では増えていくでしょう。世界と向き合っていくコアがなければ、個にとっても社会にとっても危ない。トピックが駆け抜けていく時代だからこそ、自分の足場を固めなくてはいけない。18歳になったらどんな選択をどんな場面で迫られるかということを先取りして、道徳の授業の準備をしてほしいと思います。先生の研修や教材作りなど、われわれ人文学の大学人がどんなサポートをできるかも、考えなくてはいけないと思います。

 


おわりに

 大学を取材する過程で、学生の精神年齢の「低年齢化」を危惧する言葉をしばしば耳にする。たとえば「-8」、18歳ならば「10歳」の意味だ。もちろんすべてがそうではないが、その18歳が来年から選挙権を手にする。日本の行く末を決める私たちの代表を、どんな社会観で、人生観で選ぶのか。「道徳」にすべてを担わせるつもりはない。ただ、教育の力で、これまでとは違う18歳と出会いたいと願っている。(奈)


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(2015年9月29日 05:30)
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