大学入試改革構想の柱となっている、従来のセンター試験に代わる新テストについて、東京大学の五神真学長が初めて前向きな態度を明らかにした。改革を審議する「高大接続システム改革会議」(座長=安西祐一郎・日本学術振興会理事長)に意見書を提出した。これまで、同大をはじめとした国立大学は実現可能性の乏しさなどを理由に慎重な姿勢を示していたが、流れを変える可能性があるのか。改革会議は最終答申を3月に行う方針。その目前に意見書を出した意図は何なのか。五神学長に真意を聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)
■「見直しは喫緊の課題」
――率直にお答え願えますか。この意見書は、大学入試改革に「賛成」ということでしょうか。
五神 現状のセンター試験や有力私立大学の入試などでは、時代が求める多様な評価が出来なくなっており、それを見直すという方向性は正しいと思います。グローバル化が加速する中、日本が人類全体に今まで以上に貢献するため、次世代人材育成の仕組みを見直すことは喫緊の課題です。より多様な能力が求められており、高水準の教育を維持するためには、改革が必要なのです。特に大学入試は、高校での学習に大きな影響を与えます。答えの用意された問題で知識や技能を測るという旧来の方式に依存するのではなく、思考力・判断力・表現力や学びに対する主体性を高めるために、試験の内容や方法を変革しなければなりません。
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――最終答申は目前、3月に迫っています。このタイミングで出された理由は?
五神 このところ論点が、50万人もの受験生を対象とする一斉試験で記述式重視の方法を採用することが可能か否かといった狭いところに集まり、これまで議論を積み上げて確認されたはずの理念についての共通認識から離れてしまっているのではないかと、考えたからです。旧来の社会や経済の仕組みが時代に合わなくなっているのは明らかで、新たな発想で課題解決に挑む人材を育成することが急務です。未来の姿についての議論を深め、どのような能力をもつ人がどれだけ必要になるのかといったことをきちんと分析する。そのうえで、多くの国民が活躍するためにはどのような能力を鍛えるべきかという視点が必要です。答申までの限られた時間を有効に使い、建設的な議論を進めてほしいと考えて、意見書を出しました。
――何を強調するべきだ、とお考えですか。
五神 新テストの導入によって、高校教育にどのようなメッセージを届けるのかを議論し、広めることが重要だと考えます。入試は,受験生、高校、社会に対する大学からのメッセージボードです。意見書では、東大の入試を例に、記述式試験が出題者、受験生、採点者の真剣な対話であると伝えました。東大では長年、知識の多寡ではなく、持っている知識に横串をさして解を導き出し、それを論理的に表現する能力を重視しています。採点においては、時間をかけて答案を読み解き、思考力、判断力、表現力を多面的に評価してきました。そうした対話を通して、東大からのメッセージは確実に伝わっていると考えます。
一方で、試験での公正性と公平性は不可欠です。これが担保されなければ、信頼関係が成り立たず、学びのメッセージボードにはならないからです。どのようなメッセージを送るのか、そのメッセージが正しく伝わる仕組みは備わっているのか、が本質なのです。今回の改革論議は、その原点に戻る好機ではないでしょうか。記述式は、試験の一つの形態にすぎず、特別な訓練や経験をした人が有利になるような方式は避けなければなりません。
公平性というのは、機会均等という意味での公平性です。高等教育に至る機会均等が高度に達成されたことは戦後の教育政策の中で最も重要な成果です。入試改革によって、それが損なわれることのないように慎重な検討が必要です。
■「日本の成長」につながる技術を
――理念は正しい、東大のこれまでの取り組みとも矛盾しない、ということですね。とはいえ、大規模な一斉試験での多角的な評価の実現が技術的に難しいことは否定できません。
五神 8600人の受験生を数える東大の2次試験では、附置研究所の教員を含め、全学の教員を動員して、出題採点に取り組んでいます。やはり、人手の問題は大きいでしょう。試験改革の重要性は理解しつつ、しかし果たして50万人の受験者に長文の解答をさせ、その内容を公平公正に分析し評価できるだけの人材、人数が確保できるのか。世界でも例のない困難な作業になるであろうことが想像でき、実行の可否に疑問が続出する現状も、もっともなこととは思います。人海戦術ではない新しいシステムの開発が必要です。
現在のセンター試験の前身、共通一次試験は1979年に始まりました。それまでになかった大規模一斉試験で、マークシート方式が導入されました。その試行時期に私はちょうど高校時代をすごしましたが、共通一次試験の試行に協力する教師が、ご自分で試作したマークシート方式の問題を授業で紹介していたことを思い出します。1973年頃ですので、発足の6年前にはすでに具体的な準備が進んでいたわけです。今回、新テストを2020年に導入するとなると、かなり遅れていると言わざるをえません。その意味からも、時間は限られています。
――「全く新しいシステムの開発」とは何でしょうか。
五神 今年1月に閣議決定された第5期科学技術基本計画で、「世界に先駆けた超スマート社会」の実現を明記しています。「必要なもの・サービスを必要な人に、必要な時に」提供し、国民の豊かな生活を実感してもらう。そのためには、大量のデータを短時間で分析・解析できる人工知能(AI)が欠かせないというのです。50万人規模の一斉試験において記述式答案を公平公正に採点することは、技術的にも大変、野心的なテーマです。長文の日本語文章を理解し、分析することを機械処理で行う技術が出来れば、日本の社会は大きく変わります。
合わせて、言語障壁という日本のハンデを一気に克服し、逆に強みに転換する技術ともなるはずです。まさに超スマート社会を世界に先がけて実現したいという第5期科学技術基本計画において開発すべき技術であり、絶好の機会と考えます。
――なるほど。意見書では、この改革を日本の成長につなげようとも書かれていましたね。
五神 AI技術は日進月歩です。50万人規模の一斉試験で記述式試験を実施するのであれば、この技術開発加速とリンクすべきです。試験の専門家の学問的知見を生かしつつ、新技術を駆使した試験システムを世界に先駆けて開発するのです。目標が具体的ですので、着実に成果が出せるのではないでしょうか。そのように捉えれば、開発投資は単に入試改革のための投資ではなく、日本の科学技術力を引き出し、成長につなげるための必要経費と言えますし、成果は様々な分野に活用されるでしょう。
さらに、そうした技術開発は、高度ICT人材の育成強化にも資するものです。50万人の大規模の受験者が新技術を体験する機会は、大きな社会変革の起爆剤となる可能性もあります。日本人の情報技術リテラシーを一気にレベルアップすることにも利用できるでしょう。
資源の乏しい文教予算の中で、新たな大規模テストの開発財源を確保するために、別の予算を削るというような議論は生産的ではありません。新テスト準備に向けた財源を、幅広く活用していく視点が大切だと思います。私の意見書は、限りある資源を最大限に活用するため、みんなで知恵を絞って前に進みましょう、というメッセージなのです。
おわりに
高大接続をめぐる議論で繰り返される「公平性」という言葉に、ひっかかりを覚えていた。視点をどこに置くかで、まったく見え方が異なってくるからだ。センター試験のようなテストは点数別に受験生が選別され、一見公平だ。だが少し離れ、試験技術の習熟環境という見方に立てば、どうだろうか。
日本の大学で最も国費が投入されている東京大学に、親の所得が最も高い層の学生が集まっている。圧倒的に東京都出身者が多く、2位の神奈川県の4倍近い。日本の富が集まる東京で、経済的に余裕のある親が塾や教材にどんどん投資できる家庭に暮らす子どもと、そうでない子どもと。そうした見えない「制約」を取り除こうというのが、「産業社会の一貫して追い求めてきた教育政策の課題」(天野郁夫「教育と選抜の社会史」より)であったという。それこそが「産業社会の成長と発展を約束するもの」であったからだ。新テスト論議が、日本経済や科学技術の成長と発展、何よりも長年の課題を解決する糸口になるよう期待したい。(奈)
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