中央教育審議会の答申やさまざまな法改正などを追い風に、大学の教育、研究の現場が変わりつつある。かつては当たり前だった一方的な講義形式の授業や、外部から資金を獲得できない研究などは「問題」とされるようになった。だが、財務省主計局主計官として大学運営を見てきた金融庁の神田眞人参事官は、まだまだ足りないと言う。「今のままなら、日本の大学は生き残れない」とさえ......。その現状認識を聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)
■「タテ割り」「タコツボ」「相互不干渉」
――先日、東京都内で開かれた講演会での言葉がとても印象的でした。人やカネ、情報が地球上を駆け巡るグローバル時代に、「教育、研究が今のままなら、日本の大学は生き残れない」と強調されていました。大学は死ぬ......。「今のまま」とは、どういうことでしょう?
神田 自らの問題として主体性をもって大学改革を推進する勢いが欠けていると感じます。世界はもちろん、国内も大きく変わっています。まず少子高齢化、そして人口減少。私たちの時代には18歳人口が250万人ぐらいいました。今は110万人、あと数十年で60万人とかつての4分の1になる。競争がなくなって質が低下するだけでなく、お客さんが激減するので、生涯教育、つまりおとなの学生や留学生を集めなくてはいけないのですが、教育、研究の中身が良くなければ、そもそも人は集まりません。大学の経営は成り立たなくなります。
大学は組織が硬直していて変わりにくいので、インセンティブとなる制度改正や予算配分をしていますが、国家財政が世界最悪ではおのずと限界があります。授業料だけでなく、寄付、外部との連携でもお金を集めなくてはいけない。それも教育、研究が良くなければ、誰もお金を出しません。日本の企業は研究開発に力を入れていますが、海外の大学やシリコンバレーにお金を出しても、日本の大学にはほとんど出しません。企業側の目利きに問題がないとは言いませんが、日本の大学が、魅力がないという烙印を押されているのも事実です。優秀な高校生も海外大学希望が著しく増えています。
――何に問題があると見ていますか。
神田 「タテ割り」「タコツボ状態」「相互不干渉」。端的に言えばここにあります。きわめて細分化された組織の中に、山がたくさんあり、みんな自分の山を守ることに汲々としている。全学的に大きな勝負に出ようという時、優先順位をつけて、当然どこかを削らなければならないのに、出来ない。全学的な協力体制ができないのです。何もしなくても自分だけは「逃げ切れる」と思いこみ、一生懸命頑張る人の足を引っ張るといった風潮も見受けられます。
――タコツボを死守する人がいる一方で、大学教員の過半数を占める非正規教員が、大学を転々としています。
神田 起こるべき地殻変動が起きなかったためです。この10年で、期限付きの研究費が激増し、それぞれのプロジェクトに雇われる非正規の人が急増しました。短期的なプロジェクトに雇われていても、優秀であれば、正規に雇用されて大学全体を新陳代謝できる人材になると構想されていました。短期的な予算によるプロジェクトも、成功すれば、優先順位の低下した古いものと入れ替わる形で、安定的な予算に移行させるべきでした。
ところが、実際はそうした新陳代謝は起こらず、旧態依然とした予算構造が維持される中、新たなプロジェクトは期限と共に消えるか、看板の掛け替えになるだけで、タコツボの中の人たちをそのままに、非正規の人は期限がくればクビになって失職し、次の職を探さざるを得ないという状況が続いているのです。期限付き任用自体は研究者の流動性を高め、正しい方向ですが、すでに恒久的な職を得た大きな世界が既得権となって固定化している限り、流動的な一部だけ非常に不安定なものになってしまいます。
――そこで、学長に強い権限を持たせる「ガバナンス改革」が出てくることになるわけですが、これも、うまくいっていないとご覧になりますか。
神田 いや、すごく変わったとは思います。民間的な経営の考え方などを取り入れたのは、画期的だった。けれども長い歴史もあり、改革は一気には進まないし、反動が起きているのが事実です。共同体の構成員は学者さんですから頭がいいし、プライドも高くて、容易に抵抗勢力になりえます。研究も教育もしない人ほど暇ですから、改革の邪魔をする。そこが会社よりも難しいところでしょう。でも昔に比べたら、ずいぶん変わりました。
■「努力する大学は、資金を手に出来る」
――大学間の競争を促すような政策が目立ちます。国立大学の基礎的な経費、運営費交付金は教員や学生数などに応じて機械的に配られていましたが、今年度からは一部、メリハリをつけた配分をすることになっていますね。
>>【参考】文部科学省「平成28年度における国立大学法人運営費交付金の重点支援の評価結果について」
神田 いいことだと思います。以前から、競争的資金へのシフトを進めていますが、今回は、全交付金の約1%にあたる計100億円を、13大学に重点配分しました。全体の規模から見れば小さいものですが、大事なのは、「努力したら配分が増える」「さぼっていたら減る」という方向性を感じてもらうことです。学長はじめ執行部も、学内で説明しやすくなるでしょう。努力すれば資金を手にできる、世の中こういう流れなのだということを学内で共有できるきっかけになります。そもそも運営費交付金対競争的資金という対比がおかしいわけで、運営費交付金も血税である以上、説明責任と競争性が高まっていきます。
――国立大学法人法が改められ、国立大学が不動産や寄付金を運用できるようになりました。
>>【参考】文部科学省「国立大学法人法の一部を改正する法律案の概要」(PDF)」
神田 評価しています。昔は国立大学を厳しく縛って、余計なことは考えるな、としていたのです。これからは自由度を高め、いろいろな経営の手段をもつことができます。新しいツールを活用できないところは不利になるし、知恵を出して今あるリソースを活用できるところは未来が開く。
――そうした改革を推し進めるためにも、「評価」が必要です。
神田 ここが難しいところです。国が評価するより、学界、アカデミックコミュニティーが自浄作用として厳しいピアレビュー(学者同士での評価)をしてほしいのです。学者が学者に対して、大学が大学に対して、「おまえたちはそんなことではだめだ」と言うような。ところが、それができない。先ほどの「タテ割り」で隣に駄目だという能力も志もない。学問の細分化でもっと酷くなっています。
■健全な主権者育成を
――難問が山積しています。
神田 のんびりしてはいられません。グローバル競争が激化する中、日本は最も厳しい人口減少と財政赤字を抱えているのですから。国公立、私立大学、それに専修学校も含めて1000校以上ある中で、どういう所が生き残っていくのか。統合も含め、ダイナミックに変えていかなければいけません。大学は特殊と言うが、特殊だから変わらなくてすむというのは間違っています。全ての業態が生き延びるために生まれ変わろうと闘っている中で、大学だけが変わらずに済むことはありえません。淘汰されるだけです。
現に、日本の大学の学位は卒業が楽なこともあって国際的な信頼性がとても低く、「価値がない」とまでいわれています。そうなれば日本に留学してくるのは、アジアの大学にも入れない底辺の学生という危険性も出てきます。恐ろしいことです。
――学位の価値とも絡みますが、先日の講演で、大学に「健全な主権者を育ててほしい」と話されていましたね。どのような素養を持った人のことでしょうか。
神田 主権国家の枠組みを含め、当然視してきた世界の秩序が壊れています。市場経済が格差を生み、民主主義も情報革命の影響もあって極めて異常な状態になっている。答えのない世界で、自分でしっかりと考えなくては生きていくのが難しい時代です。だからこそ、謙虚に古今東西の書物や多様な人から学び、広い世界観をもち、妙なネットの一行に惑わされず、自分で吟味して、世界の一員として判断できる、そういう主権者になってほしいのです。それでないと民主主義を維持できません。我々は不完全な民主主義と市場経済以外に有効な選択肢を持っていないのです。未来社会を担う若者、育成の場としての大学に期待をかけています。
おわりに
日本社会や大学の実態に対する神田氏の強い危機感に共感する。だが、いくら大学を叱咤激励し、改革を推し進めても不十分の感を否めない。神田氏も指摘するように、企業が日本の大学に研究費を出さないのは、大学側だけの問題なのだろうか。日本の優れたベンチャーには見向きもしないのに、海外ベンチャーには多額の出資をする。そこに企業側の偏見はないか。教育についても同様だ。入学時から卒業時までの4年間通した体系的なカリキュラム作りに力を入れる大学が増えているが、就職活動で3年生の秋にはキャンパスから学生が姿を消さざるをえない。その現実は、だれが作っているのか。
未来を担う若者に少しでも良い環境をつないでいくために、大学改革の議論を矮小化させてはいけない。(奈)
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