異見交論29「『考え、議論する』人を育てる ~道徳の特別教科化(上)」貝塚茂樹氏

貝塚茂樹 武蔵野大学教授。国立教育政策研究所主任研究官等を経て現職。文部科学省の道徳教育の充実に関する懇談会委員などを歴任。近著に「特別の教科 道徳Q&A」(ミネルヴァ書房)。53歳。

 「道徳の時間」が、小学校では2018年度、中学校では19年度から「特別の教科 道徳」になる。学習指導要領が一部改定され、教科書検定基準が定まり、指導・評価の方法も示されるなど、枠組みが固まってきた。目指すは「考え、議論する道徳」だが、「魂」を入れるには、まだ越えるべきハードルは多いようだ。授業時間の確保、道徳教育に対する根強い偏見、大学での教員養成のあり方......。先月開かれた「第1回 考え、議論する道徳フォーラム」(読売新聞東京本社主催、文部科学省委託事業)で浮かんだ現状の問題点を、パネリストを務めた貝塚茂樹・武蔵野大学教授と鈴木明雄・東京都北区立飛鳥中学校長にそれぞれ聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)

※フォーラム当日の模様は2016年8月20日付読売新聞朝刊に掲載。当サイトの会報20号(>>PDF)に詳報を掲載。


 

■「自分事」として社会に向き合う時間を

――「考え、議論する道徳」、どんな授業になるのか、想像がつきません。

 

貝塚 こんな授業を見たことがあります。出生前診断がテーマでした。一般論だと、大半の生徒たちは命の尊厳を理由に「NO」と否定する。では、自分が親の立場と仮定すると、答えが変わってしまう。なぜ変わるのか。それぞれが考え、議論し、最終的にみんなが納得できるような意見にまとめるのです。よくあるパターンです。けれども「考え、議論する道徳」は、一人ひとりの子どもに、「他人事」ではなく「自分事」として深く考えることを求める。だから、クラスの「納得解」に落とし込むのではなく、一人ひとりの思考の軸に集約していくのです。

 

――クラスを一つの「答え」に落とし込む「アリ地獄」型か、みんな違ってみんないいという「バラバラ地獄」か。今までの道徳の授業はこの2パターンに大別できるとされていましたが、いずれとも違う授業になるのですね。

 今年7月、文部科学省の専門家会議が、指導方法と評価についての報告書をまとめました。いままでの道徳科では「単なる話し合いや読み物の登場人物の心情の読み取り」に偏っていた、としたうえで、これからは「学校や児童生徒の実態に応じて、問題解決的な学習など質の高い多様な指導方法を展開」するよう求めています。評価については、記述式で、生徒が成長を実感できるようなものとし、教師にとっては指導方法・計画の見直しに取り組むための資料という位置づけです。

 

>>報告書 「特別の教科 道徳」の指導方法・評価等について (文部科学省ウェブサイト)

 

――昨年3月には道徳の内容が示され、次いで教科書検定の基準も公表されましたので、これで特別教科としての道徳の形が整ったことになります。報告書をご覧になっての感想をお聞かせください。

 

貝塚 一部のマスコミでは、評価それ自体を問題視するような旧態依然とした批判もありますが、教育現場では概ね受け入れられる内容でしょう。評価も始まることで、教師は道徳教育に正面から向き合わざるを得なくなりました。「政治問題」だった道徳教育がやっと「教育問題」として議論され始めたといえるかもしれません。

 

――次期学習指導要領の中核になる「アクティブ・ラーニング(主体的な学び)」を先取りする形で実践すると聞いています。なじみの薄い言葉なので、多くの教員は戸惑っていますね。

 

貝塚 書店ではアクティブ・ラーニングを書名に入れた本は350冊を超えたそうです。けれども、アクティブ・ラーニングという指導法があるわけではないので、どうしたら子どもの心を引き出せるか、と模索し、日々の授業を改善する視点が「主体的な学び」そのものでしょう。そう考えれば、アクティブ・ラーニングは、教育の本質に立ち返ったといえます。

 道徳科での実践が他の教科のモデルとなり、先導するような役割を果たすつもりで取り組みたいものですね。

 

――教員の資質が問われるわけですね。そのためには、フォーラムでも指摘されていたように、大学での教員養成課程と、研修のあり方が、道徳の特別教科化の成否のカギを握るといっても過言ではないでしょう。

 

貝塚 大学の教員養成の問題は重大です。私は個人的には道徳の専門免許を創設するべきだと考えています。理由は2つです。高い専門性を確保すること、そして道徳教育の学問としての基盤を確立することです。

 大学の教員養成は免許制度と連動しています。そのため、免許のない道徳には大学の講座や専攻はほとんど設置されていません。これは教員養成にも深刻な影を落としています。「特別の教科 道徳」は出来ますが、教員免許のための取得単位に変化はないため、ほとんどの大学は教職課程を変更していません。新しい道徳科を誰がどうやって具現化していくのか。理念だけで改革は進みません。制度的な枠組みが必要です。

 

――研修についてはどうでしょうか。

 

貝塚 研修についても同様です。ほとんどが、学習指導要領の解説に終始しているのが現状です。もちろん、それが必要ないというわけではありません。しかし、現職の教員の研修のテキストが「学習指導要領解説」というのはあまりにお粗末でしょう。こうした状況も突き詰めれば、道徳教育を忌避してきた「道徳教育アレルギ―」の負の所産といえます。

 

――フォーラムでは、道徳が「より良い社会」づくりにつながるとおっしゃっていましたね。どうつながるのでしょうか。

 

貝塚 私たちは一人では生きて行くことはできず、「他者」とのつながりを切り結んで生きています。「他者」とのつながり方が道徳であるともいえます。「考え、議論する道徳」では、具体的に何を考え、議論するのでしょうか。私は、自分自身の生き方と同時に、より良い社会のあり方をも考え、議論を重ねるのだと思います。司馬遼太郎は、より良い社会をつくる基盤となるのは「自己の確立」であると言いました。つまり、「より良い社会づくり」のためには、私たち自身の生き方を考えることが必要不可欠なのです。ここが原点ではないでしょうか。

 道徳に正面から向き合う。おとなも「自分事」として向き合う。その意識改革と覚悟が求められていると思います。

 


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(2016年8月20日 04:59)
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