ペールエリック・ヘーグベリ駐日スウェーデン大使インタビュー
ペールエリック・ヘーグベリ駐日スウェーデン大使(右)とインタビュアーの高校生たち
ペールエリック・ヘーグベリ駐日スウェーデン大使と高校生との主な一問一答は次の通り。
スウェーデン大使館へようこそ。皆さんのような若い人たちに来ていただくことはとてもすばらしいことです。私はここでいつもスーツにネクタイ姿の男性たちばかりに囲まれているので、あっ(と同行の先生をみて)決して批判しているわけではありませんよ。私もスーツを着ることも多いのですが、そのような格好は自分らしくないですよね。でも、ある意味、仕方のないことです。外交官としても、ビジネスの場でも必要なこともあるでしょうから。
でも、私は人を外見で判断するようなことはしません。日本が8か国目の駐在国になりますが、どこに行こうとも誰に会おうとも、その人を一人の人間、「個人」として見るように心がけています。必ず、その人、個人がどういう人なのかに常に興味を持つようにしているのです。
私自身のことを少しお話しましょう。私は在日本スウェーデン大使として2年間、駐在しています。その前は、ベトナム大使でした。スウェーデン外務省で25年間、勤めてきました。53歳です。子どもが2人います。長男は17歳で、東京のアメリカンスクールに通っています。長女は20歳で、米国のボストンで大学に通っています。日本語は私より息子の方がはるかに上手ですね。
ペールエリック・ヘーグベリ 駐日スウェーデン大使(Pereric Högberg) スウェーデン外務省に勤める外交官で、2019年9月から日本へ。これまでにベトナムやナミビアなど、8か国に駐在した経験がある。2人の子どもの父。1967年生まれ。 |
ジェンダー平等とスウェーデン社会
スウェーデンは国としても多様性を重視していると聞きます。なぜスウェーデンがそうなったのか、歴史的な経緯について教えてください。
いい質問だと思います。スウェーデンの歴史を振り返って、何が社会を変えたのかをみてみると、いつも変革は下からわき起こって実現してきたという特徴があげられます。スウェーデンの中で様々な組織、教会、団体、そうしたグループがいっしょになって、政府に圧力をかけて変革を実現してきたのです。
なぜ多様性を重視するのか。スウェーデンでは1800年代の終盤、すでに教育水準が非常に高かったということがありました。さらに、識字率が非常に高く、当時ほぼすべての国民が読み書きすることができたのです。そうした条件が整うと、当然、わき上がってくるのは選挙権ですね。民主的な選挙によって代表を選出することができる権利を求める声は、男性からだけでなく女性からも上がったのです。実は今年は、スウェーデンで男女平等の選挙権が実現して100年という節目の年を迎えました。
男女平等、ジェンダー平等に関してですが、これは1930、40、50年代と進むにしたがって、スウェーデン国内の女性から、生き方、働き方についてもっと自分で自由に決めることができるようになるべきだという声が高まっていったのです。
スウェーデンの政界がこうした声に対して理解を示したのは、経済的な事情があったからです。国の人口の半分が働くことができない、そのコストを国として負担することはできない。そう考えたのです。女性も働くことで産業の担い手になるべきだという認識があり、そうした事情が後押しした側面もあります。
そこで問題となるのは、どうすれば女性も労働人口に円滑に加えることができるかということですね。ここで皆さんにおたずねしたいのですが、いま聞いたことから、女性が男性と同等にフルタイムで働くということを実現する上で、「障害」になることは何だと思いますか。
力仕事のような業務は、女性はできないのではないでしょうか。固定概念かもしれませんが、女性にはそういう制約はあると思います。
それもいい視点ですね。スウェーデンの場合は3つの課題があったのです。
まずは税金の問題です。スウェーデンでは、家族(夫婦)はいっしょに課税する仕組みになっていました。仮に私と妻がともに働いていて、私の方が所得が高く、妻が低かったとしても、それを合算して、決められた税率で所得税を払う仕組みでした。しかし、1970年代の税制改革で、課税のあり方を見直しました。夫婦の所得を合算するのではなく、お互いの所得に応じて別々に課税する仕組みに切り替えました。女性も社会に進出して働きやすくすることを狙ったのです。
2つ目は子育て、育児の問題ですね。夫と妻がともに働いていた場合、誰が育児をするのかという問題です。1970年代のスウェーデンでは、国レベルで大きな変革を実現しました。政府が全国の自治体に対して、十分な数の保育園や幼稚園を整備するように指示したのです。もし私がスウェーデンで引っ越しをして、ある自治体から別の自治体に移ったとします。2人の子どものために保育園や幼稚園を探さなければなりませんが、引っ越した先の自治体から「満員なので受け入れることができません」と断られるようなことはありません。それは、どの自治体も十分な数の保育園、幼稚園を確保しなければならないという決まりがあるからなのです。その上、どの保育園、幼稚園も公的補助を受けているので、非常に低額で誰もが利用することができる。それも大きな特徴の一つです。
3つ目は、これが最も重要な変革ですが、育児休暇の制度を国としてしっかりと整備したことです。夫であろうと妻であろうと、一定の期間、仕事を休むことができる権利を保障するという仕組みです。もし育児のために会社を休んだとしても、働く人がそのことで不利益を受けるようなことがないようにしたのです。そのためには雇い主が、働く人の権利を奪うことがないようにする必要があります。
制度を改善した当初、育児休暇として認められていた期間は1年でしたが、いまでは1年半になりました。この権利は女性だけでなく男性にも認められています。一定期間、育児のために仕事を休んでも、再び職場に戻ってくることができるようにしたのです。
「ロールモデル」が大切
学校でジェンダー平等について学んでいますが、私はその中で性的少数者(LGBTQ)への取り組みなどについて調べています。日本ではこの問題について理解が広まっていないと考えていますが、スウェーデンではどうでしょうか。
それは非常に重要で、かついい指摘ですね。LGBTQについては、スウェーデンも過去にひどい歴史があったことは事実です。例えば、同性愛は「犯罪」とみなされていた時代もありました。同性愛は精神病のようなものだと考えられていたこともあったのです。
これを改善しようという動きが出始めたのは、1900年代も半ばを過ぎてからのことでした。とはいえLGBTQの権利について法制化を実現したという点では、スウェーデンは早いほうです。スウェーデンでは1970年代には、誰を愛そうともそれは「個人の自由」ということが認められるようになったのです。
この課題に、私たちが「人権」という観点から取り組んだことが大きな特徴としてあげられます。第二次世界大戦が終結して、1948年に国連で「世界人権宣言」が採択されました。これを機に、同性愛者についても個人の権利が認められるべきだとの理解が次第に広まり、スウェーデン国内でも法制化する動きにつながっていきます。
ただ、一つ言えることは、スウェーデン国内でも、この変化は非常に急激に進んだということですね。私の経験でお話ししましょう。私の両親は1940年代の生まれですが、彼らの世代には、同性愛は恥ずべき存在という意識が少なからず残っていました。
その一方で、私の世代、1960年代から70年代生まれの世代は事情が異なります。私が10代の頃、まわりには自分が同性愛者であると認めている人がいました。そして、私自身も、それが問題だと感じることはありませんでした。
もう一つ、スウェーデンではLGBTQのコミュニティー、支援する活動家たちの働きもあって、政府を動かし、社会を啓蒙するという大きな役割を果たしたことも重要だと考えています。スウェーデン社会の変革は、常に下からの突き上げがあって実現するということをお話ししたと思います。LGBTQについても同じですね。まず変革を求める声がわき起こり、その声が政治を突き動かし、政策を変える原動力になったのです。
スウェーデン社会には、模範となるような「ロールモデル」が多くいたことも重要でした。LGBTQについては多くの著名人たちも次々に声をあげたのです。自分も同性愛者だと名乗りを上げた人もいました。同性愛者たちを支持するために声を上げた人たちも大勢いました。勇気を持って社会の中で声を上げるということは、スウェーデン社会の変革の歴史の中でも非常に重要でした。
日本語では、どういう人がロールモデルだと言えるでしょうか。逆に皆さんにお聞きしたいですね。
テニスの大坂なおみ選手などでしょうか?
そうですね。おっしゃる通り、彼女はすばらしいロールモデルですね。(全仏オープンで語った)トップアスリートとしてのメンタル・ヘルスの問題について正直に語った時などは非常にすばらしかったと思います。間違いなく彼女はロールモデルだと私は思いますね。
LGBTQの課題に戻りますと、現代のスウェーデン社会では、これが個人の権利の問題だという認識が定着していると言えます。誰を愛そうとも、他人から異論を差し挟まれるべき問題ではない。過去と比較しても、そういう考えは現代では広く理解されていると思います。
しかし、これがたとえ個人の問題、プライバシーの問題だったとしても、重要なことはそれを実現し支えるためにも、しっかりとした法整備が必要だということです。たとえば、職場で事業主からハラスメントを受けたり、知人から非難されたり、LGBTQであることを理由に会社を解雇されてしまうことだってあるかもしれません。そういうことが起きても、その(個人の)権利を守ることは非常に重要です。民主主義社会には、差別という言葉はあってはならないからなのです。
教育現場の取り組み
スウェーデンではジェンダー平等が重要視されていることはよく理解できたのですが、それを実践するために教育の場でどのような工夫をしているのですか。国内での取り組みを教えてください。
スウェーデンでは、先生が非常に重要な役割を担っています。その工夫は、小学校に入学する前の段階、保育園、幼稚園の頃から始まっているのです。
一つ例をあげれば、男の子はこう、女の子はこうあるべきというジェンダー(性別)による先入観に基づいて何かの遊びをさせることは避けるようにしています。これは男の子がすることだから女の子にはやらせないといったことはないようにしています。
服装についても同じです。男の子の服装はこうあるべきで、女の子はこうだと強いることはしない。こうしたことにスウェーデンでは非常にきめ細やかに取り組んでいます。ジェンダーを理由に、子どもたちの考えを一定の方向に向けたり、型にはめたり、あるいは強制したりしないよう、いつも心がけているのです。
スウェーデンでは1960年代から、男子校、女子校の制度そのものを廃止しました。どこも男女共学で、制服もありません。好きな服を着て登校し、学校でも男子の行事、女子の行事といった具合にジェンダーで分けるようなことはしません。一人の人間として、あらゆる学校活動に参加するように求められるのです。男だから女だからと、ジェンダーで人を判断することはしないということが徹底されているのです。トイレも男女の別はなく(日本のユニバーサルトイレのように)誰でも使用できるようになっています。
学校における集団活動(グループ活動)でも、特定の性別だけで固まらないよう男女の数が均等になるように工夫もしています。スウェーデンの先生たちは、非常に気を使っています。グループの中で、男女のいずれかの発言権が大きくなっていないかということにも気を配ります。男女にかかわらず人間として平等であること、協調性を意識しているのです。
スウェーデンの学校で特徴的なことは何かということをよく聞かれます。それは、子どもたちが受け身ではなく、常に自分から「情報」を求めるようになることを心がけていることだと考えています。
先生が言っていることを一方的に聞くだけにはしない。先生が言ったことをノートに書き写し、それがテストで出題され、どれだけできるかが試される。そういうことはないようにと心がけています。授業中でも生徒たちには、常に手をあげて、「なぜ」ということを聞かせるようにする。先生の方も、「本当にそれでいいですか」「なぜそれが正しいと思うのですか」と問いかけるようにしています。反論があってもそれは認められるべきです。答えが一つしかないのではなく、むしろ、異なる意見が出ることを大切にする。それが議論につながるようにすることをむしろ奨励するのです。
もちろん、教えるという役割を持つ先生の立場は尊重されるべきです。しかし、大切なことは子どもたちが自分の力で「情報」を求め、自問自答し、仲間たちと議論をするようになること。そういう考えが、スウェーデンの教育の中核にあるのです。
多様性って何だろう
先ほどの話と重なりますが、私たちの学校は男子校です。日本では歴史的に男子校、女子校が存在します。これについてどのようにお考えになりますか。
難しい質問ですね。私の大使としての仕事は、日本社会について批判をすることではありませんので。私の仕事はスウェーデンのことを日本で紹介し、日本と協力関係を築くことですから。しかし、あなたのご質問に対して、正直に、個人の立場でお答えするとしたら、男女を別々の学校にするということの理由はほとんどないのではないかと考えます。
制服についても同じですね。それはなぜか。私は、学校に行くことの意味は何かといわれれば、それは「自分」を探すことだと考えているからです。自分とは何者であるか、それを見つけることだからです。
若者が、あなたはこういう格好をしていなければならないと命じられたり、あるいは、あなたはこのグループに属さないといけませんと指示されたり、そういうことが起きると、若者自身、自分たちは何者であるかを自分でみつけることが難しくなってしまうのではないでしょうか。むしろ時間がかかるようになってしまうような気がしてなりません。自分が何をしたいのか、子どもたちが自問自答をして決めるべきだと考えるからです。
多様性のことを本当に理解するためには、より早い時期から多様性について学ぶべきだと私は考えています。様々な国、民族、文化、そうした多様性を理解できるようになること。自分とは異なる存在があることを理解できるようになること。幼いころから、様々な体験・経験をしている方が、多様性を理解できるようになると考えるからです。
でも、それを実現するためには、実はもっと先生の数が必要になります。教育には手がかかるからです。例えば男の子の場合、10、11、12歳頃になると非常に活発になり、教室の中などの狭い場所ではちょっと手に余ることもあるでしょう。だからこそ、先生はこうした条件をあらかじめ理解をした上で、男の子が女の子を圧倒してしまうようなことがないように配慮をして、男の子と女の子を分け隔てなく教えることができるようにするための環境をつくらなければならないのです。もちろん、これは私個人の意見です。異なる意見がある場合は、ぜひ言ってください。
いや、その通りだと思います(笑)。
でも、ここだけははっきりとさせておいてください。私は一般論として申し上げただけです。男子校、女子校に通っている生徒さんにとっては、いまの環境がベストであるかもしれません。そこで、すばらしい学校生活を送ることもできるでしょう。ただ、一般論として言った場合、このやり方はスウェーデン社会ではうまくいかないだろうなということが言いたかったのです。
最後に一つだけ、付け加えてもいいですか。やっぱり男しかいない学校で、ものすごくつまらないと思いませんか。女の子しかいなくても同じですよね。私はやっぱり、男女共学がいいですね。
「SDGs先進国」にも課題
国連が掲げるSDGsについてお尋ねします。もっとスウェーデンとして力を入れるべき目標はあるのでしょうか。
これもいい質問ですね。ご存じのように私の国スウェーデンは、いつも国連で報告するときには自信に満ちあふれています。SDGsの17あるゴールすべてで、目標を達成しつつある国の一つなのですから。
しかし、完璧な国などありません。スウェーデンが現在、直面している深刻な課題があることも確かです。その一つが、社会に広がる不平等の問題です。失業者の所得格差、失業家庭で育った子どもの不利益、持てる者と持たざる者との差、所得の不均衡が広がりつつあることは深刻な問題です。もちろん、世界の他の国々と比べて、相対的にみて深刻な貧困の問題があるというわけではないのですが、スウェーデンでも社会の中での格差が広がりつつあります。
スウェーデンの失業率をみてください。日本と比べると非常に高いことがわかると思います。日本の失業率はいま2%台ですが、スウェーデンでは9%を超えています。内訳でみると、スウェーデン国外で生まれた人たち、移民だけでみると20%近い数字になります。
こうしたことはあまり知られていないでしょう。スウェーデンは非常に小さな国で、国土は日本より大きいのですが人口は1000万人ほど。そのうち200万人が、スウェーデン以外の国で生まれた移民か、スウェーデンで生まれた移民の子どもたちです。実際にスウェーデンを訪れれば、想像しているよりもはるかに多くの人種がいるということに気づくはずです。アジア、アフリカ、南米からの移民も大勢いるのです。欧州出身の人たちだけがスウェーデン人というわけではありません。
SDGsの目標でもう一つ、課題となっているのが医療です。中でもメンタルヘルス、精神の健康の課題です。コロナウイルスの広がりが原因で、世界のすべての国も同じ課題に直面しているのですが、これだけ人と人が会う自由が阻害される状況が長く続くと大きな問題をもたらします。世界では多くの学校が閉鎖を余儀なくされましたよね。スウェーデンの学校は閉鎖されることはなかったのですが、多くの制約がある中で、若者たちのメンタルヘルスが阻害されていることは間違いありません。
そして最後に、これは国内産業が直面する課題ですね。エネルギーの確保を巡っては、環境に優しい代替エネルギーへの切り替えが急激に進んでいることは事実なのですが、石油への依存度が、私たちが理想とするよりはまだまだ高いこと。これは大きな問題だと考えています。
日本もそうですし、EU、そしてスウェーデンでも、二酸化炭素の排出を実質ゼロにする「カーボン・ニュートラル」を目指すことを打ち出していますが、私たちは他の国々よりもはるかに早く2035年までには「ゼロ排出」を実現することを目指しています。
昨日、報道があったので見ているかもしれませんが、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書が出ましたね。日本でも欧州でも、そしてスウェーデンでも、多くの政治家たちが地球温暖化に向けた取り組みを約束しているのですが、その概要を読めば、残念ながらこうした取り組みはまだまだ不十分で、ゴールに向けたその歩みもまだまだ遅いということを認めざるを得ません。
そして、最も大事なことは、地球温暖化がもたらす影響というのは、私の子どもたちにおよぶだけでなく、皆さんの子どもたちにも及ぶのだということです。未来の世代に対して、問題解決を先送りしてしまっているのだと言えますね。世界の政治家たちも立ち上がっていますが、もっと大切なことは若者たちの声だと私は思います。それは日本でも同じではないでしょうか。若者たちが声をあげ、政治家たちに行動を促す。それは日本だけでなく、世界中どの国でも大切なことだと思います。
というわけで、端的にいえば、スウェーデンはSDGsが掲げる17の目標では、おかげさまで非常に優秀な成果を出しています。ただし、それは机上での話であって、現実としてはもっとゴールに向けて様々な取り組みを強化していかなければならないと考えています。それは、ジェンダー平等の問題についても同じですね。私たちはもっとできることがあるのではないかと私たちは考えているのです。
若者も声を上げよう
環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんについてお尋ねします。スウェーデンの若者は政治的にも活発に声をあげるという傾向があるのでしょうか。
逆に皆さんにお聞きしたいですね。日本の若者の中で、グレタさんはそこまで有名ですか。それともわざわざ私のことを気遣っていただいて、質問しておられるのですか。
日本でもとても有名ですよ。
なるほど。では、逆に皆さんに問いかけたいのですね。なぜ日本にはグレタさんのような存在はいないのでしょうか。世界中の様々な国々で、彼女は若者たちの共感を得て、彼女の主張は共鳴していきました。フランス、ドイツ、カナダ、米国、タンザニアなどアフリカでも、オーストラリアもそうですね。若者たちはどこの国でも行動し、もっと若者たちの声が聞き入れられるべきだと訴えました。いつも疑問に思っていたことなのですが、それがなぜ日本では起きないのかということです。
日本には一人で意見を表明するということには抵抗がある人が多いのではないかと思います。同調して何かを行うという傾向が強く、一人でいきなり声を上げる、突出するということはあまりない国民性なのではないかなと感じています。
なるほど。実は、スウェーデンの社会でも歴史的にみて似たようなことを経験しているのです。これまでもお話してきたように、スウェーデンの中で社会を変えるということを私たちはずっと続けてきました。そうしたこともあって、いまの若者たちは無関心ということはほとんどないと思います。
スウェーデンでは、若者たちがもっと関心を持つように、彼らの声が社会に届くようにと心がけてきました。その結果、若者たち自身が社会的な課題について関心を持ち、政治に興味を持ち、いまの社会情勢はなぜこうなっているのかを考えるようになったと思います。変革は必要なのか、変革するのであれば何をどう変えればいいのか。若者たちは自らの力で考えるようになったのだと言えます。
その意味では、スウェーデンの若者は日本の若者と対照的かもしれませんね。自分たちが声を上げられないことは受け入れられない。だからこそ、自分たちが一歩前に踏み出すことをいとわないし、有名な政治家や事業家たちに厳しい質問を投げかけることを恐れない。若者たちは、自分たちの考えを表明する権利があると考えているからです。
背景にあるのは、いまいる政治家や事業家たちが死んでしまったずっと後も、若者たちはこの地球上で暮らさなければならないという事実があるからだと思います。先に亡くなる人たちの言うとおりに物事を決めるのではなく、未来を担う者にこそ未来の方策を決める権利がある。そう考えているのです。スウェーデンの社会がここまで来るのには何百年もかかりましたが、だからこそ現代のスウェーデンの若者たちは、黙っていられないのです。
ただ、間違えないでほしいのは、グレタさんは自分から有名になろうと考えたことはなかったと思います。むしろそういう立場になりたくなかったでしょう。ただ、彼女を突き動かしたのは、政治家や事業家たちが語る「変革」とは言葉だけで中身を伴っていなかったという思いです。持続可能な社会を実現するといっても、彼らがそうしたお題目を口にしているだけでは、それは実現できないだろうと考えたからなのです。
彼女はスウェーデン国会議事堂の外で、たった一人の抗議活動を始めたのです。それが、次第に、多くの若者たちにも共鳴して、活動の参加者が増えていったのです。彼女はそういう意味では、ちょうどいいタイミングで登場したのだと思います。若者たちの多くが、口先ばかりで行動が伴わない政治家たちにうんざりしていた時に、グレタさんの主張はぴったりとはまったのです。
グレタさんの発信しているメッセージはとても興味深いものだと思いませんか。「私だけが知っている」とか、「私には解決策がある」と主張しているのではありません。彼女が訴え続けていることは一つだけ。それは、「事実を直視して、科学的なデータに注目してください」ということだけです。政治家たちに対して、地球温暖化の問題などで公表されている事実を直視し、こうした問題にもっと耳を傾けてくださいと訴えているだけなのです。
グレタさんのインタビュー記事を読んでみると、なぜ運動を始めたのかについてこんなことを言っていました。いま起きていることに目を背けて、あと3、4年学校に通い続けた後、それから活動を始めるよりは、いますぐに活動をはじめるべきだ。そう考えたそうです。学校に行くことは後からでもできる。それが世界中で共感を呼んだのです。
もしグレタさんが日本に来て、国会議事堂の前で抗議活動を始めたらどうなりますか。彼女はひとりぼっちになりますか。それとも、日本の若者たちも共感して駆けつけてくれるでしょうか。
若者の一部は同調するかもしれませんが、世の中全体に広がるというわけにはいかないと思います。日本でも環境活動をしている若者がいることは事実ですが、多くの若者に響いているかといわれるとそうではないと思うからです。
女性の社会進出のために
日本ではまだ女性が働きやすい環境が整備されているとは言えないと思います。スウェーデンではどのようにして女性の社会進出を促したのでしょうか。
それを実現するのは、男性の役割でしょう。過去30年ほどで、スウェーデンで起きた非常に重要なことは「父親」の役割が大きく様変わりしたということだと思います。最初の変革は育児休暇制度の整備でした。父親は最低でも3か月は育児休暇を取得する権利があります。いまでは夫婦で合わせて18か月(1年半)の育児休暇の取得が認められていますが、スウェーデンでは男性が5~8か月程度の育児休暇を取得するのが一般的になっています。それが働き方に大きな影響を与えたといえます。
私も経験がありますが、もし私の職場で若い男性がいても、その家庭で子どもが生まれればその男性は子育てのために半年前後は職場を休むことになる。そうした事実を当たり前のように受け入れています。女性の場合だと、子育てだけでなく、子どもを産むための期間もあるので男性とまったく同じ条件ではないかもしれませんが、スウェーデンでは会社にとって、若い人材を雇用しているということは、それが女性であろうと男性であろうと、育児のために一定の期間は休むということが当たり前のように受け入れられているのです。
かつてはこれが女性だけだったのですが、いまは男性も取得できるのですから、男性、女性のどちらを雇用していてもそれは平等です。男性であっても女性であっても、子どもが生まれるたびに職場を離れることになりますが、それはスウェーデンでは社会的に許容されるべきことなのです。
これは私の経験からもいえますが、職場を離れて育児のために時間を費やす人は、それが男性であろうと女性であろうと、育休期間を終えて職場に戻ってくると、よりよい上司になるという傾向があると思います。人間として成長するのですね。日本の皆さんへのアドバイスとしては、とりわけ日本のお父さんたちにお伝えしたいのは、子どもが生まれたら必ず家庭で過ごす時間を確保してほしいということですね。
もう一つ付け加えると、家事だったり育児だったり、そういうことは女性がやることで、退屈なことだということがよく言われていますが、私はこう反論したいですね。男性は子どもたちといっしょに過ごす時間をみすみす失うべきではありません。そして家事を分担することを敬遠するようなこともいけません。たとえば料理。料理は非常に楽しいだけでなく、インスピレーションを刺激する創造的な活動だと私は考えています。
家庭を築くという点でいえば、それが夫婦であろうと、同性のパートナーであろうとも、家事を分担することで相手の負担を減らし、お互いに自由なことに取り組める時間をつくることは非常に大事なことです。お互いの助けになっているのだという気持ちは何ものにも代えがたいものでしょう。長続きする幸福な関係の秘訣は、そんなところにあるのだと私は考えています。お互いによく話し合い、理解し合い、分担し合うカップルというものは、より幸福になるはずです。個人的にはそう強く感じています。
私自身、第一子の長女が生まれたときには9か月間、仕事を休んで家庭で過ごしました。第二子の長男の時には6か月でした。その間、私の妻が働いて、私は主に家事を担っていました。しかし、そのおかげで、私はより良い大使になったのではないかと感じています。
私たちにできること
日本では心ないジェンダー差別ともとれるような発言がしばしば問題になります。スウェーデンではどのようにしてこのような課題を克服していったのでしょうか。日本で差別をなくすためには何が必要でしょうか。
簡単なことです。こうした課題に対しては必ず「声を上げる」ことだと思います。実は若い皆さんからインタビューを受けることについて、17歳の息子と話をしました。スウェーデンにおけるいまの差別に対する意識はどのようなものだろうと聞いてみたのです。すると、彼はこう言いました。「とにかくスウェーデンの人たちは、誰もが黙っているということができないよね」と。
例えば自宅に親族を招いて夕食をとっていたとしましょう。そのときに席にいた誰かが、ほかの誰かのことであっても、どこかの国、あるいは民族のことでもいいですが、何か非常に差別的なことを口走ったとします。そういうとき、誰もが即座に、それこそ(指をパチンとならして)瞬時に反論が出てくるでしょう。「そういう言い方は許されるべきことではない」と。
スウェーデンでは、それは職場であっても同じです。誰かが差別的なことを口走ったとすると、まわりの人たちはすぐにたしなめるでしょう。若い世代であればあるほど顕著ですね。そういう言葉に瞬時に反応します。意識してのことではなく、当然のこと、自然な反応として出てくるのです。
同じことは日本社会でも起きているのではないですか。私はそう感じています。森元首相が五輪組織委員会で、女性は話が長すぎると発言した時も、日本社会の反応は早かったですよね。すぐに辞任に追い込まれました。あるいは、職場でハイヒールを履かなければいけないという決まりに対して声を上げた女性たちの例もあります。それが裁判でも認められるなど、すぐに声を上げるという傾向が、日本でも一般的になってきているのではないかと感じています。
差別をなくすためには何が必要か。簡単にいえば、そういうことを許さないための法整備は重要です。でも、社会の中でそうした(声を上げる)ことを許容する機運がなければ、誰もが声を上げるという雰囲気が生まれなければ、差別はなくならないでしょう。差別的な発言が出てから、解決するまでに2、3週間もかかっているようでは遅すぎるのです。差別に対してはただちに声をあげる、そして即行動をする、それが差別をなくすためには非常に大切なことなのです。