全てを見せた理由 ~順天堂大・天野篤教授による医療プログラム(5・最終回)

 天皇陛下の執刀医として知られる天野篤・順天堂大学医学部心臓血管外科教授(59)と同科は今夏、医師を志す高校生8人を受け入れ、早期医療体験プログラムを行った。8人は読売教育ネットワーク参加校の生徒で、プログラムはネットワーク活動の一環として行われた。生徒たちは二人一組で3日ずつ、天野教授が率いる医療チームに早朝から密着し、順天堂医院(東京都文京区)の心臓手術に立ち会った。手術後の患者と面会もし、「命を預かる覚悟」「なぜ医師になりたいのか」を考えた。


<<順天堂大・天野篤教授による医療プログラム(4)「『勇気もらった』女子生徒たちの発見」はこちら

 

「僕は神秘を感じた」と手術を生徒たちに説明する天野教授

手術中 神秘を感じる

 多いときは1日4件の手術が入る順天堂医院心臓血管外科。天野教授は早朝から2つの手術室を行き来しながら、高校生たちとの時間を大切にした。

 60代女性の冠動脈バイパス作りが終わると、教授は学習院女子高等科2年・土方美奈子さん(16)らを手術室の一角に呼び寄せた。

 女性の心臓と血流の3D映像を示しながら、「今日は動脈硬化で栄養が心筋に届いていない患者さんの手術。見て、血流が滞ってしまった近くにバイパスとして使える血管が2本もある。すごいことだと思わない?僕は手術をしていて神秘を感じる」

 人の体は生きる力に満ちていて、手術でその力を高められることを分かりやすく説明していく。

 

 手術と手術の合間も、医師待機室で可能な限り生徒たちと過ごした。

 パイプ椅子に座り、くつろぐ教授に鴎友学園女子高2年・佐久間海帆さん(16)は集中力維持の秘訣を質問した。好きなことでも集中が続かない悩みがあったからだ。これに対し、「命がかかったような場合に集中は切らさないよね?高校野球でも満塁で四球を出したら終わり。そうじゃない?」と教授は聞き返す。手術中、執刀医が諦めると患者が亡くなることを強調し、メスを握り続ける理由について、こう語った。

 「僕は心臓手術で父親をなくした。自分が出会った患者の家族に同じ思いはさせたくない」

 開智高2年・樋口晴哉さん(17)とは1時間以上も話し、高校時代の思い出を懐かしそうに披露した。だが、外科医の仕事の厳しさが話題になると背筋を伸ばした。

 「楽な方に流される学生が多いが、自分のライフスタイルを優先したら医療の最前線から医師がいなくなってしまう」。

 いったん言葉を切り、「問題は、それでいいのかだな」と樋口さんを射るよう見た。

 

手術前、モニターで血圧をチェックする

患者の喜びが我々の喜び

 「ライセンスさえ取れば何とかなるという考えでは医師は務まらない」――。今回、医師を志す高校生たちを受け入れ、生徒たちと深く交流した背景には、教授が抱き続けた医師のあり方、医師教育への問題意識がある。

 命を預かる以上、医師には学び続ける責務があるというのが教授の持論だ。だが、「最新の知識を取り入れるのをやめてしまう人が少なくない」と話し、その弊害をかねてから憂慮していたという。

 医療としっかり向き合える「良い医師」を育成するには、どうしたらいいか。この問題意識の高まりと、偏差値で決める医学部進学熱への疑問があいまって、教授が出した一つの答えが次代の担い手にリアルな現場を見せる「天野流・早期医療体験」だ。

 その現場で生徒たちは何を見て、何を学んだのか。

 心停止した患者の緊急手術に立ち会った生徒は緊迫した空気に息をのんだ。心筋梗塞のリスクが取り除かれたことに安堵する男性と話した生徒は、患者の喜びが医師の喜びだと感じたという。

 こうした発見にこそ、大学附属病院の現場に密着した意義があると教授は話す。

 「生徒たちの目に、我々の仕事はエクストリーム(極限)に映ったはず。でも、医師になりたいという願いが熱い今、脳裏に焼きつける映像、記憶が大切。最前線に触れて志が固まれば、将来どんなエクストリームな日々にも耐えられる。全てを見せた理由が、そこにある」。

 

手術後はリラックスした表情で生徒たちと交流した

医師に向いているか...適性を考えよう

 プログラムのもう一つ狙いは、医師に向いているのかという適性を生徒が自ら考えることだ。

 手術後、教授は生徒たちに投げかけた。「君たちが医学部を目指すのも、そこで6年間学ぶのも医師になるためでしょう。でも、医師育成には多額の税金が投入されていて、その投資の恩恵を受けて一人前になる。だから、医師は国民の健康でありたいという願いに応えないといけない。社会に貢献する義務がある」

 教授の言葉には、プログラムに参加した高校生たちへの課題が込められている。

 ハードワークをこなす医師たちの背中を見て、生徒1人ひとりが「自分は社会の期待に応えられるか。この仕事が務まるのか」を考え、将来のベクトルを決めてほしいという課題だ。

 一夏の実践を教授は、こう振り返る。

 「命を預かる厳しさ、そして医師のやりがいは学校や塾では教えられない。誰もがインターネットで専門的な医学情報を得られる今だからこその早期医療体験。医学部が行える生の教育なのです」

 早期医療体験というアプローチが少しでも広がれば、医師教育の在り方に一石を投じることができるはずだ――。教授の試みは始まったばかりだ。

(2015年9月30日 18:00)
TOP