31.あるじがいない部屋
明治学院大学3年 丹伊田杏花(にいだ・きょうか)
「水道の使用量が極端に少ないですが、引っ越しましたか?」
大学の近くに借りたアパートの水道を管理する事業者から、私のスマホに問い合わせの電話があった。
新型コロナウイルスの影響で、大学の授業はオンラインになり、私は4月から福島県の実家に帰省していた。最初は週末の2日間だけ過ごすつもりで、身一つの帰省だった。だが、県境をまたぐ移動の自粛が求められ、アパートにはずっと戻れずにいたのだ。
実家にもパソコンはあったが使い慣れず、論文や発表資料を作成する課題をこなすのに、不便さを感じていた。水道の問い合わせがあった直後の6月上旬、両親が運転する車で往復6時間かけ、パソコンを取りにアパートを訪ねた。
部屋の玄関ドアのポストはインターンシップ(就業体験)の案内状など郵便物であふれ、あの「アベノマスク」も届いていた。
机の上には教科書が開かれたまま。台所から生ゴミの異臭が漂い部屋中に充満していた。おそるおそる冷蔵庫をあけ、賞味期限切れの卵や豆腐を取り出した。
大学入学と同時に始めた一人暮らし。話し相手がいない。毎晩、実家の母に電話をしていた。「ただいま」と言っても「おかえり」の声はなく、聞こえるのは、ひとりごとや、テレビを見ながら笑う自分の声だけ。まさに「咳(せき)をしても一人」状態だった。
そんな部屋のあるじがいなくなって、残るのは何だろう。わずか30分の「滞在」だったが、時間は確実に流れていた。
30<< | >>32 |