MyScope 54. 私の気持ちを奏でてくれるもの


54. 私の気持ちを奏でてくれるもの


法政大学1年・坂爪香穂

 

 「綺麗な音で吹けるようになれば、楽しくなるよ」。

 

 テナーサックスに出会ったのは、中学1年生の時だった。吹奏楽部に入った私は、「サックスを吹きたいけど、花形のアルトサックスは人気だから」という理由だけで、希望者のいなかったテナーサックスを選んだ。そんな私に顧問がかけてくれたのが、この言葉だった。

 

 楽しい時には楽しい音、悲しい時には悲しい音。自分の感情を映し出すかのように音の感覚が不思議で、わたしは練習にのめり込んだ。「綺麗な音」になっていくのが楽しい。その一心で吹き続けた。だが、さらに吹奏楽部に打ち込もうと進んだ高校で、その自信は打ち砕かれた。

 

 

 「綺麗な音だね」と言われることも多かったが、演奏していて何か不自然であったり、悪目立ちしているのではないかと感じたりすることが増えた。綺麗な音と、周りと調和する音は違うということに気づかされたのだ。それからは、自分の音に対しての自信がどんどんなくなっていった。どう思われているのか、悪目立ちしていないか、そんな疑心暗鬼が私を苦しめた。

 

 吹奏楽は1人では成り立たない。周りとの調和があってこそ。とにかく練習するしかない、その一心で朝練、昼練、放課後の自主練習に打ち込んだ。睡眠時間を削りながらの練習。楽器に触れる時間は多かったが、中学時代のように楽しみながら音を聞く余裕などどこにもなく、義務的に楽器を鳴らす毎日だった。

 

 努力は実を結び、高校2年生の秋、アンサンブルコンテストに出場させてもらえることになった。自分のやりたい音楽を考えながら練習して、理想に近づけたことに手応えを感じていた。楽器を吹くことの楽しさがよみがえってきた。東関東大会の出場権も得られ、私は練習に打ち込んだ。目指すは全国大会だ。

 

 ところが、感染者の急増による2度目の緊急事態宣言。再び部活動は制限され、公民館を借りて練習した。何より、映像審査となることを私たちは恐れた。映像審査で使われるのは、1月初旬に提出した動画になる。今、自分たちが続けている努力は無駄になってしまうのだ。わずかな対面審査の可能性を信じて練習を続ける日々。一度は「対面」と発表された審査は、大会の2日前に結局、映像審査に切り替わった。仲間から送られてきたホームページの告知を、私は直視することができなかった。

 

 

 審査の結果は銅賞。努力は報われたのか、無駄だったのか、モヤモヤした思いのまま3年生になった私は、気持ちの整理がつかずにいた。次第に本格化する受験勉強。これからの人生に活かせるかどうかもわからないものに打ち込んでいいのか。何より、「区切り」になるはずだった大会が不完全燃焼になってしまったことを受け入れられずにいた。結局、3年生まで部活を続けた私は、3月の定期演奏会を最後に引退した。

 

 大学生になり、対面授業やサークル日々を費やす中で、「蜜蜂と遠雷」(恩田陸、幻冬舎)という本に出合った。ピアノコンクールの出場者に一人一人フォーカスしていくストーリー。「生活者の音楽は、音楽だけを生業とするものより劣るのだろうか」という、ある登場人物の心理描写に、私はページをめくる手を止めた。

 

 登場人物の1人、高島明石は、プロのピアニストではなく、楽器店勤務のサラリーマンとしてコンクールに出場している。部活動だって、いくら打ち込んでも、趣味の範疇でしかない。多くの人にとっては、将来役に立つものでもないだろう。だからといって、価値がないと言い切れるのか。今までのモヤモヤが、すっきりと晴れていくような気持ちになった。

 

 大学生になった私は、テナーサックスには一度も触れていない。部活動で一度燃え尽きてしまったからだ。それでも、振り返ってみれば、テナーサックスはいつも私の気持ちを表してくれた。その事実こそが、私にとっては価値あるものだといえるのではないか。これからの人生で出会う様々な出来事や、自身の成長を重ね合わせた時、もっと深い音が出せるかもしれない。きっと、今はまだテナーサックスを吹く時ではないのだろう、そう思っている。

 



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(2022年11月15日 21:05)
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