2045年の学力(3)並行処理力

安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう)日本学術振興会理事長、文部科学省顧問。前慶応義塾長・大学長。認知科学。70歳。

 「高大接続」という言葉が独り歩きしている。目まぐるしく変わる世界で、私たちの子どもはどんな力を求められるのか、それにふさわしい教育を創っていこう。そんな思いで始めた改革だったが、その方向に進んでいるのだろうか。議論を進めてきた責任者の一人として、改革に込めた思いを語りたい――中央教育審議会会長として改革を世に送り出した安西祐一郎氏が語り始めた。

第1、3金曜日掲載(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)

 

[vol.3] 並行処理力


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 「ながら族」と呼ばれる人々がいる。

 例えば、音楽を聴きながら本を読み、さらにお茶を飲む。テレビを見ながらスナック菓子をつまみ、LINEで友だちとやりとりもする。いずれも、立派な「ながら族」だ。

 「なんだ、うちの子のことだ。本当にだらしなくて困る」と眉をしかめられたお母さん、お父さん、ぜひ、お子さんを褒めてあげてほしい。お子さんには「並行処理力」、つまりいちどきにいくつものことをこなす力があるからだ。

 人はあることに熱中すると、それにかかりっきりになりがちだ。そして、そのすばらしい集中力によって、数々の発明も生まれてきた。だが、私たちの時間にはおのずと限りがあり、複数の物事を一緒にこなさざるを得ない。そこから並行処理力が育ってくる。れっきとした知的な基礎体力の一つと言え、鍛錬していないと、なかなか身に着かない。

 

 先日、私が理事長を務めている日本学術振興会で特別研究員の交流会を開いた。出産や育児で研究の中断を余儀なくされた人たちがまた研究の現場に戻れるよう、振興会が「特別研究員」として、経済的に支援する制度だ。10年前に始まり、これまでに458人を数える。今年度も若手研究者36人を支援している。

 交流会では、それぞれが研究発表をした。古代日本人の神意識、太平洋戦争下での自衛権概念の考察、肥満と過食のメカニズム、地震発生層変化のモデル化......人文学から医歯薬学まで、気鋭の研究成果とともに、出産や育児に関わる苦労話も披露された。

 話の主は、非正規雇用で出産・育児休暇を取ることができず、退職した女性研究者が大半だ。中には夫が病に倒れ、育児に家事だけでなく、夫のリハビリ介助、両親の介護もひとりで抱え、博士論文提出を一度は断念した女性もいた。

 出産や育児だけでも一大事業なのに、そんなにたくさんの難問を抱えて、どれほど過酷な毎日を過ごされてきたのだろう。胸が締め付けられる思いで彼女たちの話に耳を傾け、驚いた。

 まさに並行処理力、全開なのだ。お風呂を掃除して湯を張り、洗面所の洗濯機に汚れ物を放り込んでスイッチを入れ、台所に戻って夕食の準備をし、壁にぶつからないように気をつけながら軽くストレッチをして、子どものご機嫌をとる。介護を必要としている親がいれば、そこでケアマネジャーさんに電話をかけ、打ち合わせをする。こどもが床についたら、やっと自分の時間。文献を前に思索にふける。実験を必要とする分野の女性研究者は、深夜を実験時間に充てていた。夜になると帰宅した夫にバトンタッチして研究室に出かけていたが、何度も「毎日遅いのなんて、ママじゃない!」と子どもに泣かれたそうだ。

 処理すべき課題を頭の中で整理し、計画を立て、そのたびにスイッチを切り替えて立ち向かっていく実行力。限られた時間内で処理するには無理は禁物で、うまくいかなかったらすぐに別の方法を考え、行動に移す。状況に即座に対応できる、臨機応変さと柔軟性が欠かせない。そして何よりも、自分のやりたいこと、つまり研究をあきらめない意欲と目的意識の高さ......。

 スイッチの切り替えの鮮やかさは、発表の場でも発揮される。誰1人、悲壮な顔で発表していないのだ。子育てと介護、研究を抱え込んでいる日々の疾走状態すら、笑いの材料とできる。これこそ、「グローバルリーダー」と言われる人たちが身につけている力なのだ。

 

 ある国際会議の席上、日本の代表が発言を求められる場面があった。ちらちらと手元の原稿に目を落としながら話す様子で、どうやら部下の書いた作文なのだとわかった。全くの棒読みだったからだ。そのために、せっかく盛り上がっていた会議がしんと静まってしまった。直前までの発言者はユーモアとアドリブを交え、笑いをとりながら、それでもしっかり自分たちの主張をアピールしていたのだから、場違い感が否めず、参加者の白けた表情が強く印象に残った。

 

 再び冒頭の主張に戻る。テレビを見ながらスナック菓子をつまみ、LINEも楽しんでいる子の親御さん。「だらしない!」と怒る言葉をまずはのみ込んで、「今、あなたは並行処理力をフルに発揮しているね」と褒めてあげてほしい。情報を入手しながら食べ、コミュニケーションも取っている状態を肯定的に分析し、もっと鍛える大切さを伝えてほしい。いろいろな物事を計画的に、しかも臨機応変に処理できるようになると、いつか国際会議でカッコよく話せるようになる、グローバルリーダーへの一歩だよと。

【MEMO】 高等学校基礎学力テスト(仮称)の問題イメージ

 新しい「高大接続」のポイントの一つは、高校教育の転換だ。大学入試突破を目指した教育から、幅広い知識と経験を積み上げる3年間に変えるよう求めている。

 2016年3月に公表された問題イメージにも、そうした考えが盛り込まれている。例えば国語では、学校祭でのPTA協力を求める手紙と、総合感冒薬の説明文という対象や内容の異なる二つの文章を提示。それぞれを分析させたうえで、共通点や、多様な読み手に理解してもらうための工夫などを尋ねている。

>>[vol.4] 情報を鵜呑みにしない


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(2016年11月 4日 10:00)
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