「高大接続」という言葉が独り歩きしている。目まぐるしく変わる世界で、私たちの子どもはどんな力を求められるのか、それにふさわしい教育を創っていこう。そんな思いで始めた改革だったが、その方向に進んでいるのだろうか。議論を進めてきた責任者の一人として、改革に込めた思いを語りたい――中央教育審議会会長として改革を世に送り出した安西祐一郎氏が語り始めた。
第1、3金曜日掲載(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)
[vol.4] 情報を鵜呑みにしない
「子どもがスマホにかじりついている」「お風呂やトイレにまで持ち込んで」――そんな親御さんの嘆きの声を時折、耳にする。
スマートフォンで何をしているのだろう。LINEやツイッター、メールのやり取り? それともミュージック? いずれにせよ、当人には重大事としても、時間にはおのずと限りがある。いま本当にやらなくてはならないことは何か、全体のバランスを考えずスマホに向き合われては心配、という親御さんの言い分はごもっともだ。
だが、人の心と行動を情報の立場から総合的に研究する「認知科学」の専門家の身としてもっと心配なのは、スマホで得た情報を鵜呑みにしていないか、という1点だ。例えば「○○ちゃんが×××をしてたんだって。○○ちゃんって変なやつ」と友だちがLINEに書いてきたとする。そのとき、「○○ちゃん、サイテー」と無批判に同調したりしていないか。さらに、「○○ちゃんが×××をした」かどうかを確認もせず、そのまま他の友だちにまで伝えたりしていないか、ということだ。
情報が瞬時に地球を駆けめぐる時代だからこそ、子どもたちには「鵜呑みにしない力」を身につけてほしい、と切に願っている。
とはいえ、情報を「鵜呑みにする」のは、大人の問題でもある。「流言飛語」、つまりデマの類はその代表例だ。2011年3月11日の東日本大震災の直後には、インターネットを通じて「放射能に汚染された黒い雨が降る」という噂が飛び交った。その雨に濡れると体に深刻な影響があるのでレインコートの着用を、などというもっともらしい呼びかけに惑わされて、レインコートがやたらと売れたそうだ。ふだんの生活でも、テレビやインターネットで「○○(食べ物)を食べると、××の効果がある」と流れると、スーパーで○○があっという間に売り切れた、といったエピソードは枚挙にいとまがない。
真偽のほどが定かではない情報の流布要因のひとつに、「代表性バイアス」と呼ばれる心理がある。身近な例を一般化したがる傾向で、人の「性(さが)」と言ってもいいだろう。
国の委員会でのこと。ある委員が「うちの子に○○(スポーツの名称)をさせたら、見違えるように成長した。だから是非これを全国の学校に導入するべきだ」と発言した。それを聞いた他の委員たちが「なるほど」と一斉にうなずくのを見たことがある。
これは「代表性バイアス」の典型だ。その委員はマスコミでもよく知られた人だった。だから、何の検証もなしに「これこそ最上の例」と一般化しようとした言動に対し、他の委員たちも、思わずうなずいてしまったのかもしれないが......。
情報を「鵜呑みにしない力」を子どもにつけてもらうためには、大人も鍛えてほしい。
では、クイズ。ある人からこんな話を聞かされた。あなたなら、なんと反応するだろうか。
「A町では昨年、交通事故が30件起きたそうですよ。でもB町では昨年、300件も起きたそうです。B町には住みたくないですね」
「C大学の就職率は98%だった。就職力で選ぶのなら、C大学」
そう、いずれも鵜呑みにしてはいけない話だ。まず、いずれの話も「母集団」の数がわからない。上の例なら、A町とB町、それぞれの総人口だ。下の例なら就職率を出す際に分母に使った数字だ。「卒業生全員」か、あるいは「卒業生-進学者数」か「就職希望者数」かで、読み方はまったく変わってくる。
人間は限られた時間の中でいろいろな判断をしている。自分で考えて行動しているつもりでも、実は「操られて」いることがある。この続きは、また改めて。
【MEMO】
情報をどう読み解くか、複数の情報をどのように組み合わせ、新しい知とするかは、高大接続改革の中で何度も議論されてきた。どんな分野で活躍するにしても、不可欠な能力だからだ。大学入学希望者の共通テストとなる「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」でも、そうした力がついているかを評価することができるよう検討を進めている。