2045年の学力(15)心のスイッチを切り替える

安西祐一郎(あんざい・ゆういちろう)日本学術振興会理事長、文部科学省顧問。前慶応義塾長・大学長。認知科学。70歳。

 「高大接続」という言葉が独り歩きしている。目まぐるしく変わる世界で、私たちの子どもはどんな力を求められるのか、それにふさわしい教育を創っていこう。そんな思いで始めた改革だったが、その方向に進んでいるのだろうか。議論を進めてきた責任者の一人として、改革に込めた思いを語りたい――中央教育審議会会長として改革を世に送り出した安西祐一郎氏が語り始めた。

第1、3金曜日掲載(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)

 

[vol.15] 心のスイッチを切り替える


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 大学入試センター試験に替わる新テストの狙いは、「作業」から「思考」へとスイッチを切り替えることにある。いくつかの選択肢の中から「正解」を見つけ出し、解答用紙の楕円を塗りつぶす「作業」ではなく、自分の頭を使って考え、自分の言葉でつづる記述式で答えることで、「思考」する力の重要性を訴えたい。つまり、受け身の勉強から自ら学ぶ「アクティブ・ラーニング」への転換を図るのだ。

 もちろん、それは高校と大学との接続点だけで実現はできることではない。小中学校とて、無関係ではいられなくなる。

 世界を見渡しても、日本の義務教育は宝物といっても過言ではないだろう。姿勢を正して学びに向き合う、集団のきまりを守る、互いを認め、尊重し合う――人間の基本的な力は義務教育の9年間で育つ。小中学生時代を通じて、子どもたちは自分の生き方に通じる学びのスタイルを身につける。2020年から始まる新しい学習指導要領は、さらに現状を進化させ、「自ら学ぶ」姿勢をより重視していく。海外に輸出できるぐらいの教育プログラムに変容していくだろう。

 だが、それを受けてさらに子どもたちを成長させる時期であるはずの高校教育が、十分に機能していない。むしろ、高校教育の大切さが見失われているように感じる。子どもから大人へと変容をとげる多感な3年間は、義務教育で育てた基礎的な人間力のうえに立って、自分の考えを正確な言葉で編み、相手の背景を考え、適切な言葉に置き換えて伝えることを学ぶ時期だ。好き嫌いや損得で物事を判断する視野の狭さから、社会にとってどのような意味があるのかをも判断基準として習得する身につける時期でもある。大いに悩み、惑う時期だ。その悩みと惑いこそを将来の糧にし、厳しい社会で生きていくための耐性にすべきなのに、今は、「大学受験」というプレッシャーが、知識・技術の教え込み一色に染めてしまっている。

 そう主張すると、大学進学率は50%を上回る程度で生徒の大半が就職する高校もあるのだから言い過ぎだ、と反論する向きもあるだろう。問題は、それぞれの高校がどうなっているかという現状にあるのではなく、「大学進学=最上の選択」という一本の物差しで高校や生徒の「価値」を決めてしまう、単線型の思考だ。

 

 高校の現状については、2014年12月にまとめた中央教育審議会の答申で以下のように述べている。とても長い引用になって申し訳ないが、我慢して目を通してほしい。

 

新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について

~すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために~

 

 高等学校、大学ともに進学率が高まり、多様な進路が開かれる中で、一人ひとりの生徒・学生に必要な力を身に付けるためには(略)新たな時代に対応するための教育の在り方や高大接続の在り方を見いだすことが不可欠である。

 そうした観点から高等学校教育と大学教育の現状を振り返ると、現行の大学入学者選抜の大きな影響下で、それぞれ下記のような課題を抱えている。

 選抜性の高い大学へ生徒が進学する高等学校においては、国内外で活躍する次世代リーダーの育成に向けて、スーパーグローバルハイスクール、スーパーサイエンスハイスクールなどの取組や、国際通用性を高める観点からの国際バカロレアのプログラム導入、「総合的な学習の時間」を活用した課題探究の鍛錬、ユネスコスクール等における持続可能な開発のための教育の実践など、これからの時代に必要な力の育成を見据えた積極的な取り組みも多く見られる。

 その一方で、学校の教育方針が選抜性の高い大学への入学者数を競うことに偏っている場合には、高等学校教育が、受験のための教育や学校内に閉じられた同質性の高い教育に終始することになり、多様な個性の伸長や幅広い視野の獲得といった、多様性の観点からは不十分なものとなりがちである。こうした教育では、大学入試に必要な知識・技能やそれらを与えられた課題に当てはめて活用する力は向上させられたとしても、自ら課題を発見し解決するために必要な思考力・判断力・表現力等の能力や、主体性を持って、多様な人々と協働しながら学んだ経験を生徒に持たせることはほとんどできない。

 そうした生徒がそのまま選抜性の高い大学に入学した場合、一定の知的な能力を持っていたとしても、主体性を持って他者を説得し、多様な人々と協働して新しいことをゼロから立ち上げることのできる、社会の現場を先導するイノベーションの力を、大学において身に付けることは難しい。「従来型の学力」について中間層の生徒が多い高等学校では、知識量の多寡で進学先の難易度が決定される環境において、受験勉強が学習への動機付けになってきた。しかしながら、少子化の進展等により大学への入学が一般的に容易になっているため、それに対応して、従来のような受験勉強がそれほど必要でなくなっている。そうした中では、今まで以上に、社会で自立して生きていくために必要な力の獲得を目標として設定し、学習意欲を喚起する必要があるが、そうした動機付けを十分に行わず、自主的にはほとんど学習せず目標を持てない生徒を多数、選抜性が中程度の大学に送り出してしまっている例も多い。そうした場合、一人ひとりの知識・技能や思考力・判断力・表現力等の能力を伸ばす余地はあるにもかかわらず、学生に主体性や学修のための明確な目標が不足しているため、大学においてもそれができないままになっている。

 「従来型の学力」の習得に困難を抱えている生徒が多い高等学校では、家庭環境や所得格差等の問題も背景として、必要な力を育む以前に、まずは通学させ卒業させることで手一杯であるという状況も多い。そうした中で、生活指導や教育相談、将来を見通した進路指導等の支援を熱心に行っている高等学校もあるが、入学者選抜が機能しなくなっている大学に漫然と送り出される場合も少なくなく、そうした大学においては、思考力・判断力・表現力等の能力どころか、その基礎となる知識・技能自体の質と量が、大学教育に求められる水準に比して不十分な段階にある学生が多いことが深刻な問題となっている。

 こうした現状から課題として浮かび上がってくることは、高等学校においては、小・中学校に比べ知識伝達型の授業に留どまる傾向があり、学力の三要素を踏まえた指導が浸透していないことである。

 

 もうおわかりだろう。高大接続改革は、「大学の序列」と、その序列に基づく「高校の序列」を壊して新しい教育を構築するために進めている。

 高校進学率は98%で、高校教育自体はとっくに多様化している。にもかかわらず、高校教育の根底にあるのは、世間から『いい大学』と言われる大学に生徒を送り込めるかどうか。「大学の序列」と地続きの「高校の序列」が根付いている。その序列を壊さない限り、大学と高校の教育は変わらない、いや、変われないからだ。

 これからの時代を見据え、そこで生きていける力をつける教育をつくらなくてはいけない。ペーパーテストに勝ち残らなければ「落ちこぼれ」と認定される教室のありようを、高校と大学の関係を変えなくてはならない。

 もちろん、受験勉強ができることは、価値の一つだ。短時間で「正解」を選び出せる力も尊いものだ。だが、たとえば地域で問題が起きたとき、知恵を絞り、必要な支援を探り出し、人を集めて解決に尽力できる力も、すばらしい。大災害時には頼もしい助っ人になってくれるだろう。そうしたいろいろな価値を認め合える社会にしたい。難関大学に行くことが最上の生き方ではない。新たな多様な生き方を認める社会にしたい。

 

 そのためには、まだスイッチの切り替えが必要だ。高校、大学の教職員、教育委員会、大学の教育学の先生、そして保護者、教育に携わるすべての「教育関係者」の心のスイッチを。「いい大学に入れば、いい会社に就職できて、将来安泰」という単線型人生モデルのレールに子どもをどう乗せるかではなく、多様な価値を認め合う複線型のモデルに切り替えるときに来ている、というゆるぎない自覚が不可欠だ。

 

 3月末、東京都内で開かれた人工知能(AI)のシンポジウム(産業技術総合研究所人工知能研究センター主催)に参加し、これまでとは発想が違う若者が芽を出し始めていることに改めて気づいた。そこで出会ったのは、AIを巧みに活用して農業、金融、その他いろいろな分野の活性化を図るベンチャーの若い経営者たちだった。従来と違うのは、AIがはやっているから使うのではなく、やりたいことがある、実現したい社会がある、実現するにはどうしたらいいか、ここにたまたまAIがあるから使ってみようという発想の仕方だ。

 例えば、農業の改革には社会に深く根差した課題がたくさんある。高齢化した農家、既存の販路にのせられない規格品外の作物、耕作放棄地をどうするか......。それを乗り越えて、山積する社会の課題と自分の人生を重ね、目標を設定し、仮設を立て、方法論を考えていく世代がいる。

 困難にぶつかりながらも夢を捨てず、解決方法を模索する20代の経営者たちは、一様にきらきらしていて、その話を聞きながらすがすがしい思いで満たされた。

 もちろん、みんなでベンチャーをつくれ、と言うつもりはない。自分が何をしたいのか、社会とどうかかわりたいのかを、考えてほしい。たくさんの人に会って、経験を積んでほしい。そんな高校時代であってほしいのだ。

>>[vol.16] 「1億総ゆでガエル」にならないために


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(2017年5月 5日 10:00)
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