2045年の学力(21)「書く」「話す」英語入試で、発信力を強化

 「高大接続」という言葉が独り歩きしている。目まぐるしく変わる世界で、私たちの子どもはどんな力を求められるのか、それにふさわしい教育を創っていこう。そんな思いで始めた改革だったが、その方向に進んでいるのだろうか。議論を進めてきた責任者の一人として、改革に込めた思いを語りたい――中央教育審議会会長として改革を世に送り出した安西祐一郎氏が語り始めた。

第1、3金曜日掲載(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)

 

[vol.21] 「書く」「話す」英語入試で、発信力を強化


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 英語のテストというよりも、「どう思うか」と考えを聞かれることについて慣れていないのではないか。そのうえ、英語の文章を「書く」こともほとんどやっていないのではないか。これらの相乗効果だろうが、それにしても、5人に1人が「0点」とは驚くに値する数字で、世の中にこの調査結果がほとんど知られていないことのほうが問題だ。

 かといって、「読む・聞く」が満足のいくレベルだったわけではない。「読む」は68%、「聞く」は73.6%が、「英検3~5級」にだいたい該当するCEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)の「A1」レベルなのだ。高校生はふだん、どのような英語の授業を受けているのだろう?

 

 前回、高校生に英語で「書く、話す」能力が悲しい状況で、「読む・聞く」力も満足のいくレベルではないとお伝えした。もはや、個々の高校生の「努力不足」という問題ではない。いったい日本の高校は、どのような英語の授業をしているのだろうか、と言わざるを得ない状態なのだ。

 周囲にいる大学生・大学院生の英語力を振り返ってみても、前回紹介した調査結果が説得力を持って迫ってくる。彼らの英語能力と符合しているからだ。

 たとえば、学部の学生では、250 words(A4紙1枚程度の分量)の英文をその場で書ける学生はきわめて少ない。三人称単数現在形の「s」をつけないなどの文法無視は論外だが、「えっ!?」と驚くほど英語の「書く」「話す」力のない学生が目につく。大学入試の2次試験の英語科目は、こんな難しい試験を通って入学する学生はさぞ英語ができるだろうな、と思わせる出題が多い。某「超一流大学」の英語2次試験は、そんなにまでして意味があるのかと思うような難問をぶつけてくることで悪名が轟いている。にもかかわらず、いったん入学した学部学生の英語能力は、総じて、あの入試問題ができたとはまったく思えないほどの低水準なのだ。

 もちろん、英語能力の極めて高い学生もいるにはいる。ここで言っているのは一般的な大学生のことであり、筆者の経験に過ぎない。学生の英語能力も、以前に比べれば上がっているのかもしれない。ただし、中国、韓国など非英語圏の学生の英語能力も急速に上がっていると考えて然るべきである。

 英語で書かれた大学院生の修士論文などでも、そのまま世に出して通用するレベルの英文は望めない。大学の指導教員なら経験があるだろうが、修士論文レベルの英文だと添削に苦労することも多々ある。余談だが、それでも理系の大学院生はまだいい方だ。修士課程であっても外国で開かれる国際会議などで英語発表をする機会が多いからだ。ある程度は英語で話したり書いたりできる能力を持っている学生が多いようにみえる。

 心配なのは、むしろ文系学生だ。英語を使う機会が少なく、英語で「書く」「話す」を苦手とする傾向が強いのではないだろうか。世間的には、文系よりも理系のほうが英語を使わないように思われているようだが、大学院生については逆といっていいだろう。

 

 それにしても、英語で「書く」「話す」が、高校生だけでなく大学生でも低水準なのはなぜだろうか。考えてみれば当たり前で、高校で「書く」「話す」が重視されない要因は、大学入試で軽視されてきたからだ。

 英語の「書く」「話す」のテストは、英語の技能を要求しているだけではない。むしろ、論旨明確に思考し、端的にまとめ、伝える相手の立場や背景を理解して、きちんと伝わるように表現する――そうした能力が問われるのだ。

 たとえば、大学入学の可否を決める面接の定番、「あなたはこの大学に入学したら大学に対してどんな貢献ができると思いますか?」という質問に、英語で1分で「話す」あるいは250 wordsで「書く」。これができるかどうかが英語入試の「書く」「話す」における評価ということではないか。

 そんなことできっこないじゃない、だってふだんから英語を使っているわけじゃないのに......と反論するかもしれない。日常生活で英語をほとんど使うことのない社会環境で暮らす中高生(これからの学習指導要領では小学生も)がどのようにすれば上の質問に対応できるようになるのか、それこそが「日本の英語教育はどうあるべきか」で問われる課題なのだ。そのための議論がほとんどないままに「英語の入試が変わる!」だけで終始し、その論調での報道がまかり通っていることが、日本の英語教育における本当の問題点なのである。

 

 くどいようだが、もう一度言いたい。英語入試に「書く」「話す」を導入する理由は、単に英語4技能を総合的に身につけるため、ではない。「書く」「話す」は「読む」「聞く」よりも格段に発信力を必要とする。その発信力は、単に英語の知識だけでなく、「論旨明確に思考し、端的にまとめ、相手の立場を理解してその相手に論旨明快な表現で伝える」力を養うことによって身につけることができる。

 その意味では、「書く」「話す」の英語入試を導入する意図は、国語や数学の入試に「記述式問題」を導入する意図とまったく同じである。国語、数学、英語、あるいは他の教科科目を問わず、「論旨明確に思考し、端的にまとめ、相手の立場を理解してその相手に論旨明快な表現で伝える」力の育成を徹底的に行うことが、教育立国としての日本の新たな時代を切りひらくことになる。

 前回紹介した英語力のテストで、高校3年生の約20%は「書く」「話す」の得点が「0点」だった。テスト理論の専門家の中には、そういった現状で「書く」「話す」を問うても合否を決められないから悪問だという意見がある。こうした問題を出題することが高校教育、さらには中学校の教育を変えていくことにつながる。テストは教育のための手段に過ぎない。テストがあればテストを目標にして学ぶことはやむを得ない。0点続出の問題が教育にとって重要な問題ならば、そういう問題を出題し続けることが大切だ。持続的に出題を重ねていくことが、中高生の英語能力を発信力の強化の手段として伸ばしていくことにつながるのである。

>>vol.22 先生!手を挙げて質問しよう


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(2017年10月20日 10:00)
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