ぬまっち先生コラム30(2) 最後に言いたいふたつのこと

「オレたちは世界一になったぜ!」(3月19日、世田谷小で)

沼田 晶弘


第30回(2) 最後に言いたいふたつのこと


 

♣「すみません」でなく「ありがとう」

 ふたつめ。

 「ありがとう」という言葉を、もっとたくさん使おうよ。

 ボクの家はマンションなので、よくエレベーターに乗るけど、ハコを降りる時に先を譲ると、だいたいみんな「あ、すいません」って言う。何で謝るの、そんなに悪い事してるんですか?(笑)。そういう時は、「ありがとう」でいいじゃない。

 日本の奥ゆかしい文化だとは思うんだけど、何でもかんでも「すみません」って言うの、おかしくない? みんなこの後、お母さんやお父さんと、卒業記念の美味しいご飯を食べに行くと思う。その時考えてみてほしい。お店の店員さんを呼ぶ時、「すみませ〜ん」って言うよね。これも変じゃない?

 えっ、店員さんに「ありがとう〜」はもっと変? それもそうだね。そこは「お願いしま〜す」にしようか(笑)。

 みんな、いろんな人に「ありがとう」って言ってる?

 このクラスでもちゃんと言える人、そんなに多くはないよ。もちろん態度から何となく「ありがとう」を感じることはあるけれど、言葉にする人は少ないな。ボクの方がみんなに一番言ってるかもしれないよ。

 丁寧すぎるのは逆効果。消しゴム拾ってくれたくらいで、「ありがとうございまーす!」って頭下げたら、ドン引きされちゃうからね。

 最後に言いたいことはこのふたつだけ。「いいところを見つけて」と「ありがとうを言おう」。これだけです。

 

最後にボクの本音を言います

 ボクは毎回、担任したクラスが終わる時は、そのクラスが一番よかったと思ってきました。

最初に3、4年生のクラスを持った時は、めちゃくちゃよい子どもたちに当たったなと思いました。その次にやはり3、4年生を持った時は、「これが世界一のクラスだ!」と思った。

 その次に2年生を持った時は大変だった。休める時間が全然ないし、子どもに指示が半分くらいしか通じないし、最初は病気になるんじゃないかと思うくらいキツかったけど、1学期の運動会あたりからは、「2年生って楽しい!」と周りにも言えるようになった。ダンシング掃除を始めたのがそのクラスだったし、今ここにいる3分の1はその時のクラスの子なんだよね。

 その次の5、6年生、君たちの2年先輩もすごくよいクラスだった。学校でこんなことやっていいのか? というチャレンジングな授業を一番やったのがその時だったしね。

 で、今のこのクラス。ボクがやりたかったことが全部できちゃった。

 これ、クラスの学級新聞に出ていたデータ一覧です。

 

黒板に移動した「花畑」を一つ一つ外していく子どもたち

花畑の花の数        202個以上

掃除で踊った曲の数     8曲

コンテストで受賞した人の数 16人(卒業後にさらに+4人)

学級新聞の数        135枚+11枚

リレーの最高タイム     20分57秒

漢字テストで最多の満点   22人

なわとび最高回数      536回

テレビに出た回数      3回

達成プロジェクトの数    130以上

花畑の大看板の数      19枚

 

 すごすぎる。小学6年生のクラスとして、これ、おかしくない? テレビに3回出たとかさ。出演回数をカウントしちゃうクラスとか、普通ありえないよ。

 帝国ホテルにリムジンの卒業遠足は楽しかったね。でも、あえて言うけど、あれは君たちが一生懸命頑張ったことのオマケみたいなもの。実はたいしたことない。君たちにとってはただの通過点になるはずだから。

 5年生の時から2年間、やり過ぎじゃないかってくらい漢字テストやって、81ます計算トレーニングやって、林間学校でリレーのために神社で走り込みして、運動会で優勝して......。

 みんなのおかげで全部できちゃった。

 ボクはもうやりたいことが見つからない。

 今日のホンネを言うよ。

 

 本当は、みんなと一緒に卒業したかった。

 

 もうちょっと泣けるかと思ったら、お互いそうでもないね。

 昨日、たっぷり泣いちゃったからかな。

 2年間、ありがとうございました。

 

ボクは地上に降りた「元機長」

 ボクはいま、誰もいない教室にいる。

 教室の四方を埋め尽くしていた花も、5チームで作った学級新聞も、みんなで手分けして持って帰ってもらった。何もない白い壁は、ずいぶん広くて、のっぺりして、よそよそしい。

 黒板には、今日のキャプテン(日直のことを、ボクのクラスではこう呼びます)の名前がまだ残っている。

 明日は誰だっけ? ......おっと。

 

 クラスが飛行機ならば、タンニンは機長だ。飛行機を最初に離陸させるのはタンニンの仕事。しかし1年間のフライトを終えて空港に戻るころには、タンニンは副操縦士に降格されている。いつの間にか操縦桿を握っているのは子どもたち。

 2年目は子どもたちが飛行機を離陸させる。操縦席にいる必要さえなくなったボクは、客席に移動してコーヒーなど飲み始める。再び飛行機が空港に降りた時には最後尾の席で舟をこいでいる。「お客様、もう着きましたよ?」

 そうかもう着いたのか。長いようで短い旅だったなあ。ボクはタラップを降り、飛行機だけが飛び立っていく。地上に残されたボクは、雲ひとつない青空の中をぐんぐん上昇する機体を仰ぎ見る。銀翼がきらめいて手を振っているようだ。ボクも手を振り返す。やがて飛行機は点になって消えていく。
 

 ボクは教室のあかりを消し、扉を閉じる。

 

♦エピローグ~ボクの宣言

 4月7日、新学期の始業の会。

 ボクは3年のタンニンになった。

 最初の授業。ボクを見つめる34人の顔は、まだ不安でいっぱいだ。

 「ボクの名前は沼田晶弘です。40歳独身。みなさんと一緒にやりたいことをやっていきたいと思います」

 子どもたちに自己紹介した後、ボクはきっぱりと宣言する。

 

 「ここを、世界一のクラスにします!」

 

 昨年11月から始まったこのコラムも、はや30回。「世界一のクラス」の子どもたちも、無事に巣立っていきました。みなさん、ご愛読ありがとうございました!

 ......最終回だと思いましたか?(笑)

 次回から3年生編が始まります。新しい「世界一のクラスですから!」をお楽しみに!

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(2016年5月30日 10:00)
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