海外で学ぶ・リレーエッセー[54]米ウェズリアン大学 化学から歴史へ:どうして『こんなこと』になったのか

加藤学園暁秀高(静岡県)卒、ウェズリアン大学(米国)3年(執筆時)

名合 史子 さん

Fumiko Nago

大学のアジア・アジア系アメリカ人ハウスで友人と(写真中段の右端)=本人提供

 

「どうしてこんなことになったの?」

 

 日本に戻り、今何を学んでいるのかを説明する段になり、家族や友人からしばしば発せられる質問がこれだ。高校時代はエンジニアになるべく勉強してきた。化学、数学の成績は良かったし、湛水(たんすい)処理の発展研究もやってきた。大学への志願書には、水の問題に関心があると書くと同時に、科学、社会双方に通じた包括的な研究者を目指して米国内のリベラルアーツ・カレッジを目指した。

 

 静岡県内でぬくぬくと育ったので、なじみのある世界を飛び出して、経験を深めたい、と切望していたのだ。大学とはどういうところなのか、という知識がほとんどないまま志願手続きを行った。幸運なことに、志願は認められ、ウェズリアン大学の学費全額給付のフリーマン奨学金を受けることもできた。

 

 大学1年次、ウェズリアンで総合的カリキュラムを利用して、様々な分野の学問を学んだ。理系分野の学問と並行して、美術史、東アジア研究、哲学といった科目も受講した。新しい学問分野に身を浸し、多様な学生たちと接触していると、自分が全く知らない、以前なら気が付きもしなかった分野があまりにも多いことを間もなく認識することになった。

 

 化学は確かに成績が良かったが、心から楽しんでいたわけではなかったことにも気が付いた。研究職はとても魅力的だったが、人間の力関係に巻き込まれることでもあり、それで何を信用したらいいのか確信が持てなくなった。社会科学についても多くの気付きがあった。総合して、リベラルな雰囲気はあったが、ウェズリアンは高校時代に理想化していたユートピアとは違うものだった。人種、ジェンダー、家、そして社会階層といった要素が日々の経験を形成していることを間近に感じたのだ。自分の情熱はどこにあるのか、ウェズリアンでどのような体験をしたいのか、とうとうわからなくなってしまった。

 

 自分が本当にやりたいことを探したくて、かつて意識しなかったことに目を向けようと思った。2年生になって、これまで私が避けてきたものをふとやってみようと思った。それは「戦争史」だった。日本で育ちながら、戦争の話題はいつも避けてきた。学術論文、文学、映画、写真に舞踊を通してヒロシマ、ナガサキを考える講義を受講した。自分の想像力を超えた経験をしたかったのだが、こうした問題にかかわる初めての機会だったし、今の自分を知る機会でもあった。

 

 現在3年生の私は歴史学と哲学の二つの学位取得を目指している。一番関心があるのは、どのように歴史とかかわっているのか、公教育の中で私たちが教えていくのか、を考えることだ。3年前の私だったら、自分が化学とこんなにもかけ離れたものを学ぼうなどとは想像もしなかった。高校時代の私だったら「どうしてこんなことになったの?」と聞いていただろう。ウェズリアン、そしてその教育制度や人々のおかげで専攻の変更を認めてくれたことに感謝している。人生がひっくり返るような学習体験をしたことで、卒業したら教育学を学び、他の人々に学習体験を伝えていきたいと思っている。

(会報編集部抄訳 The Japan News 2019年3月7日)

ウェズリアン大学

米コネティカット州ミドルタウンに本部のある1831年創立の私立の名門リベラルアーツ大学。学生数約3000人の比較的小規模な大学で、ノーベル生理学・医学賞受賞の大村智氏も客員教授を勤めていたことがある。

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(2019年8月 5日 15:00)
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