田中センセイの徒然日誌[58]一輪の花のように

[58]一輪の花のように

 

 気配りや他の人への思いを欠くとどうなるかを教えてくれたのが、今回の一連の事件だった。

 「岐阜のスシロー 迷惑動画で被害 謝罪拒否、警察に届」(2023年2月1日読売新聞夕刊) を発端に様々な飲食店の迷惑動画が流れたというニュースが報道された。

 こうした行動は、客と店との信頼関係、ひいては社会生活を否定することにつながってしまう。個人的に不愉快極まりない出来事だ。

 

 他の人に気を配るのではなく自分のことしか考えない行動を最近よく目にする。混んでいる電車に乗客が乗り降りしている時、意地になってドア付近をふさぐように立ち、不愉快ににらむ人も多い。

 

 いつだったか、学校のトイレに置かれている牛乳瓶やコップに一輪の花が活けられていたことがあった。「誰が置いてくれているのだろうね」。そんな問いかけを子どもたちにしたことがあった。

 その学校の主事たちは、目立たぬように子どもたちの環境に心配りをしてくれた。ほんのちょっとした気配りは、そこを使っている人たちの心の安定も呼び寄せる。学校の様子は、玄関、下駄箱の整頓のされ方や校庭や学校周りの整備でわかるなどとも言われる所以だ。

 誰にも気づかれないところで、人のために心を配る。そんな心遣いを求めるのは、いまの世の中には合わないことなのか。いや、埋もれているその心遣いに気づいたり、気づかせたりすることはできるだろう。

 

 街中に一輪の花のような気配りを見つけたら、とりあえず「ありがとう」と心の中でつぶやくことから始めたいものだ。間違えて声に出してしまうと「おじさん、大丈夫?」と心ある若者に声をかけられてしまうかもしれないから。

 

 

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田中孝宏 読売新聞教育ネットワーク・アドバイザー

1960年千葉県船橋市生まれ。元小学校長。「ブラタモリ」にならって「ぶらタナカ」を続けている。職場の仲間や友人を誘って東京近郊の歴史ある地域を歩く。「人々はなぜ、この場所に住むようになったのだろう」と考えると、興味は尽きない。

 

(2023年7月 6日 09:13)
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