田中センセイの徒然日誌[69]優しい「バス停」と想像力

[69]優しい「バス停」と想像力

 

 「家に帰りたい」などと介護施設から出かけ、道に迷って行方不明になってしまう。認知症の人には、そんな心配がある。よく考えられた予防策が、2024年5月7日の読売新聞朝刊に紹介されていた。

 

 ある施設の職員が、敷地内に「バスの来ないバス停」を設置した。そこのベンチに座っているうち、出かけようとしていた人の気持ちが、徐々に変わっていくという。「今日はバス会社がお休みだったのだろう。また明日もこのバス停でバスを待とう」。たとえば、そんな具合だろうか。

 

 人の胸中を想像する力は、強くて優しい。それはもちろん、介護に限ったことではなく、学校教育の現場にも通じる。

 

 「静かにしなさい」と、どなる声のほうが大きい大人に、教師がなったら恥ずかしい。子どもたちを静かにさせたいとき、私はよく「君は忍者だ。見つからないよう、物音をさせずにやってみよう」と、場面を設定したものだ。子どもたちはたいがい、忍者になりきって声をひそめた。「ニンニン」と、人さし指を立てて手を組む子までいた。子どもたちはいつも、自分を取り巻く環境を、想像力で一変させる。丈の高い雑草の中はジャングルになり、雨上がりの水たまりは小さな池となる。

 

 いじめの根本原因は、他人の痛みに思いをめぐらす想像力の欠如だとも言われる。一つの出来事のとらえ方も、想像力次第でネガティブにもポジティブにもなる。

 

 人間が持っている想像力は、バスの来ないバス停を生み出し、子どもたちを忍者の世界やジャングルでの冒険へといざなうばかりか、教室からいじめをなくす力にもなりうる。これはたぶん、生成AIには真似できないな。

 

 

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田中孝宏 読売新聞教育ネットワーク・アドバイザー

1960年千葉県船橋市生まれ。元小学校長。「ブラタモリ」にならって「ぶらタナカ」を続けている。職場の仲間や友人を誘って東京近郊の歴史ある地域を歩く。「人々はなぜ、この場所に住むようになったのだろう」と考えると、興味は尽きない。

 

(2024年6月 6日 14:00)
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