大学図書館に広がる業務委託の波に異議を唱える有川節夫・九州大学元学長と、条件付きで進めることでサービス向上につながると主張する深澤良彰・早稲田大学図書館長。両者の意見に対し、元千葉大学図書館長の土屋俊・大学評価・学位授与機構教授は、米国での先進事例を参考に深澤氏の意見に賛同したうえで、新しい時代にふさわしい図書館のありようを語る。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)
■業務委託を進める早稲田大学に「軍配」
――メールをいただき、ありがとうございました。「早稲田大学の運営の方が理にかなっている」という明快な文面に驚きました。なぜそう考えたのか、まずそこからお願いします。
土屋 早稲田大学は、多様な学生のニーズに応える、というミッションを掲げ、業務委託や自動化を進め、開館時間の延長などのサービス向上を図っているわけですね。学生数は九州大学の3倍以上の約43,000人で、もともと文系中心。理系の学生は勉強する場所として研究室もあるが、文系は図書館だけですから、早稲田大学の図書館の必然性、求められる度合いは大きいわけです。
九州大学に限らず国立大学の図書館は、有川先生がご指摘するように、確かに「本の置き場」でした。大事な本は教員が研究室に所蔵し、定年退職するときに引き取ってコレクションに入れる。私立とは、そもそも出発点が違うのです。
――国立大学の元図書館長が、そこまでおっしゃるのですね(笑)。
土屋 国立大学の図書館は権威主義です。学生の学習を考えたことはなかったのですよ。学生用の図書購入費はありますが、どの大学も予算を使い切れないと聞いていました。教員による選書委員会も学生のニーズに応えているとは到底言えず、意味がないので、私は千葉大学の図書館長時代に選書委員会を廃止しました。
――図書館の機能をより向上させるために、有川先生はサブジェクトライブラリアン(SL)※が必要だとおっしゃっていました。
※ある専門分野の資料を選んで収集し、目録を作成し、学生や研究者に内容や価値を説明するなど、高度の専門知識と技術を有する博士号取得者
土屋 とんでもない。15年前の2000年ごろ、アメリカではすでに「がん」とまで言われていましたよ。
――がん、ですか。
土屋 高度の専門知識と技術を持つ人ですから、高給です。あるサブジェクトの専門家ではあるけれど、学生に対するサービス、図書館全体のマネジメント、大学との間のミッションの調整などについての配慮は望めない。大きく変化する情報環境や大学改革の波に適応できず、米国の大学ではもてあまされていたようです。それでもSLを雇うのであれば、業務委託と自動化で経費を圧縮し、浮いたお金を回すなどの工夫は不可欠でしょう。
■「ジャストインタイム」でニーズに対応
――なんだか妙な話ですね。いずれにせよ、業務委託は避けられない道なのでしょうか。
土屋 任せていいものはまだありますよ。その意味で、早稲田大学の取り組みはまだまだ。選書は業務委託に出していいものの代表例です。
――どんな本を所蔵するかは、大学図書館としての存在意義につながるのではないでしょうか。
土屋 有川さんと深澤さんの共通点は、図書館の価値をコレクションに置いていますが、それでは日本の大学図書館に未来はありません。どんなに素晴らしいコレクションでも予算と場所の制限があります。世界の全ての書物を集めることはできません。一定の選択をして集めたコレクションは、膨大にある図書の海の一部で、利用者にとって最適であるという保証はどこにもありません。そこで、米国では数年前からPDA(パトロンドリブンアクイジッション=利用者駆動型購入。米国では利用者のことを敬意を込めてパトロンと呼ぶ。ドリブンは駆動型)が広がっています。
――図書館ではなく、利用者が選ぶということですか。
土屋 そうです。その背景には電子図書の普及があります。例えば、ある電子図書を読みたいと利用者5人が言ってきたらその図書を購入する、というルールを決め、購入するのです。これまでのコレクションは「いつか必要になるから買っておこう」という「ジャストインケース」で、PDAはその正反対の概念「ジャストインタイム」です。インターネットの普及によって瞬時にパトロンのニーズに応えることができます。紙の本では不可能でしょう。
情報源は図書館の外のほうが豊かなのですから、コレクションを中心に考える限り、図書館には未来はなくなるのです。
――昨年、米国・フロリダ州で紙の本が一冊もないという大学図書館ができたとか。
土屋 ジョンズホプキンス大学の医学図書館は、紙の本の保管をする図書館としてはいったん閉鎖しました。そして、学習・教育の場として生まれ変わりました。だからコレクションを作るSLは、もう時代錯誤だと言ったのです。
――大学に図書館は不要だということでしょうか。
土屋 いや、逆です。大学教育や研究で求められているものは、図書館に集約できるのですよ。まず、研究面では、学術的な知的財産の専門家の育成です。
研究を理解し、研究資金の調達や管理、知財の管理・活用をマネジメントできる人材が日本にはいない。そこで、文科省もそういうことができる人材を「URA(ユニバーシティー・リサーチ・アドミニストレーター)」と呼んで、育成や定着に向けた支援をしています。
――なるほど、図書館職員のこれまでの蓄積が活かせるはずですね。
土屋 知的財産の活用の面でも、管理はますます複雑になるでしょう。図書館職員が専門家として関わる必要性があります。大学における著作物の扱いは乱暴ですよ。外部の著作物の一部を何百部もコピーして授業で学生に配るなんてことがあるとも聞いていますから。
――教育の面では?
土屋 ラーニングコモンズ、学習の場所としての機能を充実させることです。そのためには、学生の学習行動をきちんとモニタリングして、何が課題なのか常にチェックしておく必要があります。例えば、千葉大学の図書館では、定点観測をしてもらっています。カメラを各所に置いて、学生の動線やどのように本を引き出しているのかを研究しています。
おわりに
大学図書館への評価が揺れているように見える。確かに、その価値を自ら明らかにできないまま業務委託や自動化だけを進めれば、いずれ無用の長物とされてしまうだろう。だが、それは図書館だけの問題だろうか。このところの大学改革の嵐の中で、大本の大学の存在意義すら問われていることと無関係とは思えない。
紙から電子媒体に比重が移るなど、取り巻く環境は変わってもなお、大学の教育、研究を支え続ける図書館の意味は大きいはずだ。その将来のありようを考えることから、新しい大学像も透けて見えてくるかも知れない。(奈)
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