下村文部科学相が今年6月8日、国立大学の全学長らに送った通知が波紋を広げている。教員養成や人文・社会科学系の学部は「不要」とも読める内容で、科学者の国会ともいわれる「日本学術会議」が批判の声明文を出し、海外メディアでも報じられるなど、大きな反響を呼んでいる。今回の通知は、昨年7月に示した内容の再確認として出されただけに、意味合いは軽くない。文部科学省が今後どう対応するのか、注目を集めている。鈴木寛・東京大学・慶応大学教授、文部科学大臣補佐官に考えを聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員・松本美奈)
■再確認のための通知
――今回の通知に対する反発を、どう受け止めているか、そこからお願いします。
鈴木 正直に言うと、驚いています。文科省は2012年6月、「大学改革実行プラン」で組織の見直しとミッションの再定義で改革を進めるという方向を出し、14年7月24日、「ミッションの再定義を踏まえた各分野における振興の観点」として、詳細に考え方を発表しました。その後、第3期中期目標・中期計画の作業に入る時期が目前に迫ったため、これまでの考えの再確認として示したものが、今回の6月8日の通知なのです。政策転換ではありません。こうした反響が昨年7月ならばまだ理解ができるのですが・・・。しかも各大学・学部におけるミッションの再定義の実施に当たっては、関係当事者と時間をかけて協議を重ねた経緯もあります。
――当事者とは。
鈴木 当該国立大学の組織見直しに関わっている方たちです。執行部だけではなく、学部学科で現在、教育研究に当たっている方も含みます。そうした方々にとっては何ら新しいことではないので、特段の反応はないのです。
――7月には日本学術会議が批判する声明文を出しました。声明文には、人文社会系への反省も書かれています。人材養成などの点で足りない部分があることを認め、「一層の努力」が必要としています。
鈴木 わが国のメディアや官僚、政治家の大半は人文社会系が育てた人材で、政策決定に携わる人間もいます。にもかかわらず、予算が増えていない。国民の支持も集まっていない。まずそこを総括すべきです。
問題点は明らかです。わが国の人社系教育の最大の欠陥は、ST比(1人の教員が何人の学生を担当するかを表す数値)です。国立大学の社会科学系でも約1:17。これに対し、医学で約1:3、理学で約1:5です。ゼミにすら入れない学生が半数近くもいる国立大学もあります。経済界トップで、大学教育は役に立たないと指摘する方は、例外なく人文社会系出身です。悪循環に陥っているのです。理系出身者は、むしろ、人文社会系も含め大学予算拡充に理解がある。予算がないから教育環境を改善できない、改善できないから、現在の人文社会系の存在価値についても理解・支持を得られず、予算を獲得できない......。
■国立大学改革の行方
――こうした反響を受けて、撤回や軌道修正はお考えですか。
鈴木 撤回も軌道修正もしません。方針変更はありませんから。社会的要請というのも、実学重視なんて言うことをいっているのではありません。社会における、社会のための科学というのは、世界的要請です。また、今の社会的要請とは、社会がどんどん多様化し、価値と価値が複雑にぶつかりあい、その間の葛藤やジレンマやトレードオフをいかに向き合い、乗り越えていくか?自然科学だけで解けない課題が続出している、そうした事態にどうするか学問が知恵を提供して欲しいというのが社会的要請の主題です。あらゆる機会をとらまえてきちんと説明しなくてはなりません。
――そうですね。この通知で言いたかったことを、改めて説明していただけますか。
鈴木 教員養成系の「組織の廃止」は、教員養成課程でありながら、教員免許取得を目的としていない「新課程」を廃止することです。約1万1,000人の定員総計は減らしません。後段の「社会的要請の高い分野への転換」とは、ミッション再定義で明らかになった強みや特色をもとに、人文社会系の教育・研究の質的充実、競争力強化を図ることと、すでに文書で明言しています。
――すでに再編、組織の転換の動きは始まっていますね。
鈴木 長崎大学の「多文化社会学部」、高知大学の「地域協働学部」、宇都宮大学の「地域デザイン科学部」など、ミッション再定義を踏まえ、社会が抱える問題の現代的解決に貢献できる人材養成に取り組む学部が誕生しています。
――最後にもう一問。国立大学は2004年に法人化しました。その法人の改革を文科省が指示していいものなのだろうか、疑問を感じています。
鈴木 法人化したのですから、国立大学の自発的な問題意識と努力によって改革が進められることが望ましいとは思います。けれども学長のガバナンスは必ずしも機能しておらず、特に、私学に比べて文系の改革が遅れていたことは否めません。放置していたら、納税者の理解は得られず、運営費交付金も確保できません。そこで文科省は大学の自治を尊重しつつ、改革の方向性を打ち出しています。それぞれの大学が、学生や地域、高校、実業界、行政、政治などと自発的に対話を重ね、進化してほしいのです。この10年の総括として現状は十分かというと、大いに疑問が残ります。
■文科省の通知 《概略》
2014年 7月24日
●人文・社会科学、学際・特定分野は(中略)定員規模・組織の在り方の見直しを積極的に推進し、強み・特色を基にした教育・研究の質的充実、競争力強化を図る。
●教員養成大学・学部については(中略)組織編制の抜本的見直し・強化(小学校教員養成課程や教職大学院への重点化、いわゆる「新課程」の廃止等)を推進する。
2015年 6月8日 ▼
●教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については(中略)、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努める
■日本学術会議幹事会声明
「これからの大学のあり方 ――特に教員養成・人文社会科学系のあり方―― に関する議論に寄せて」
(概要)人文社会科学には、自然科学との連携によって今日的課題解決に向かうという役割が託されている。軽視すれば大学教育全体を底の浅いものにし、学術の発展を阻害することにもなる。「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を求めることには大きな疑問がある。
おわりに
2012年の「大学改革実行プラン」には、「目指すべき新しい大学像」として六つ掲げられている。教育の充実、地域の核、世界での存在感......。いずれも至極まっとうな内容で、異論は少ないだろう。にもかかわらず、それを実現する手法には首をかしげざるをえない。旧7帝大のうち4大学に出資事業をさせようと突然、計1000億円も投じたり、世界大学ランキングの100位以内に10大学をランクインさせるとして巨額の事業を始めたり。果たして、社会の理解は得られたのだろうか。今回の騒動は、その答えのように見えてならない。(奈)
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