異見交論32「ハーバード流 "グローバルドクター" を育成」田中雄二郎氏(東京医科歯科大学副学長)

田中雄二郎 東京医科歯科大学理事・副学長。東京医科歯科大学卒業後、同大第二内科、同大付属病院長などを経て現職。専門は医学教育、消化器内科学。62歳。

 もしあなたの子どもが医学部を目指しているのなら、日本国内でしか通用しない国家試験の合格率で志望校を選択するのは勧めない方がいい。2040年、つまりいま18歳なら42歳の働き盛りの頃、日本では「医師余り」の時代が来る、と国が予測しているのだ。では世界はというと、米国は「国際標準」に合わない医学部卒業生を2023年以降は受け入れない方針を表明している。米国が「NO」と認定する卒業生を受け入れる国が果たしてあるのだろうか。そんな危機感の下、「今こそ、世界で活躍できる医師を」と東京医科歯科大学が教育改革を展開している。改革の軸は「ハーバード流」。年間数千万円の提携費用をハーバード大学に支払い、助言を受けながら進めている改革の現状を、田中雄二郎・副学長に聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈)


 

■慶応大学と学生の取り合い

――教育改革を推進していると伺って驚きました。医学部、しかも国立大学。受験生集めには苦労してないだろうと思っていたので。

 

田中 改革に着手したのは2002年。強い危機感がありました。このままでは国民の期待に応えられない大学になると。そのころ、後期入試が慶応大学の補欠合格発表の時期に重なり、辞退者が続出していました。国立大学は定員割れが許されないから、当時の医学部長は必死で、本来だったら合格ラインに達しない受験生にまで電話をかけて、来てくれ来てくれと電話していた。「よかったよ、名古屋の予備校に行くって高校生が、もうお金を払ってしまったけれども、来てくれるって言ってくれたんだ」とうれしそうに話していて。これはまずいなと思いました。さらに2004年、臨床研修が必修化された年には、医科歯科大を希望する学生が減り、定員割れしました。本来120~30人いるところが80人程度。学生の希望は教育熱心な大学、と痛感したのです。

 

――つまり、入り口でも、教育の中身でも選ばれない大学になっていたわけですか。

 

田中 私見ですが、基本ソフトウェア(OS)をカリキュラムとすると、アプリケーションは科目、ハードウエアは施設。では、大切なユーザーは誰か。学生です。学生が大切という発想がうちの大学で生まれたのは、2002年が初めてですよ。当時の鈴木学長は、法人化の最重要課題は教育だ、と認識していました。米国で長く学んでいた方で、米国の医学部卒業者が日本の研修医2年目以上の実力があることに気づいていたのです。追いつくには、臨床実習を中心に改革すべきだと考え、ハーバードとの提携が浮上しました。プライマリケア、研究とも評価が高いからです。

 

――どんな提携だったのですか。

 

田中 パッケージで、当時は1年間で4000万円、5年間で2億1748万円。その価値は十分ありました。教員を10人ぐらい、10日間ボストンでトレーニング。学生を5、6人、3か月間、臨床実習に参加させる。月例のビデオ会議もありました。ハーバード大学での学費は大学もちで、1か月40万円。その代わり、ハーバードで学んだことを持ち帰ってほしいと伝えてあります。ハーバードの学生と切磋琢磨をした学生が毎年、教育改革案を報告してくれます。ハーバードでのやり方はこうで、医科歯科でも実行可能だと報告し、それを受けとる教員が実行可能な方法を考える。学生と教員が力を合わせ、意味あるものに仕上げていくのです。

 テレビ会議は、チェックシステムです。1か月に1回、向こうのスタッフと会議を持ちました。問題点が噴出していたので、しょっちゅう助言を求めましたが、彼らは自分たちのやり方を押しつけず、こう繰り返すのです。「あなたたちはどうしたいのか」「学生を中心に考えているか」と。

 

■提携内容

(1)教員派遣 10日間 165人

(2)学生派遣 3か月 101人 

(3)教員招聘 34人

(4)月例テレビ会議

 

――2002年、2011年に大きなカリキュラム改革をしています。そこに反映されたのですね。特徴は。

 

田中 2002年で64週の臨床実習期間が11年に76週と長くなりました。内容は国際水準で、日本で一般的な「見学型」ではなく、医師とペアで診療を担当する「参加型」です。最大の特徴は4年次の「プロジェクトセメスター」。学生は全員、半年間授業がなく、自分の好きなことを学べるのです。海外留学もいいし、国内でフィールドワークもいい。体験した分、人間力があがるし、何より学年の中のヒエラルキーが崩せる。医学部は同じ授業を受けるから、成績は公表していなくても、お互い自分の位置がわかるんですよ。だが抱えている課題が違えば、ヒエラルキーは通じない。学生に自信を持たせることができ、研究を通して、教員と学生の距離も近くなりました。

 

 

■「守・破・離」が成果

――そうした変化がどういった成果につながっていますか。

 

田中 卒業生が高い評価を受けるようになりました。人気のある臨床研修病院長から相次いで、「他大学に比べて医科歯科はすごくいい」と評価をいただきました。1大学から複数の学生はとりたくなかったそうですが、医科歯科の卒業生がとても優秀だからつい大勢入れてしまったと。ハーバードとの提携が良い循環を生んでいるのは確かです。提携を発表したとたん、合格者のTOEFLの点数が一気に上がりました。さらにカリキュラム改革で学生が変化を体感し、学ぶ姿勢が積極的になった。かつて人数確保に悩んだ臨床研修の場としての人気も上昇しました。

 

――なぜ成果につながったと分析していますか。

 

田中 カリキュラムを書いたのは私ですが、ヒト、モノ、カネの三つがそろったことが大きいでしょう。歴代3代の学長がそれぞれリーダーシップをもって教育改革を推進してくれ、お金を出してくれた。段階を踏んだことも大きいと思います。「守・破・離」です。まず確実に力をつけるため、教えや型、わざを「守」る。例えば教室の改造です。講義室を半円形にしました。ハーバードをまねたので。あれだけ頭のいい人たちがやっているのだから意味があるのだろうと。完成した教室に座って、すぐにわかりました。隣の顔が少しずつ見える。授業する側もよく学生の顔が見える。

 次に、発展段階の「破」。他流の良いものを取り入れる。シンガポール国立大学デューク医学部に行って、大教室を使ってのTBL(チームベースドラーニング)を学び、導入しました。最後に「離」、独自の新しいものを生み出し、確立させます。これが先ほどご紹介したプロジェクトセメスターです。これはハーバードにもありません。問題を自分で見つけ、解決方法を考える医師、世界で求められる医師をこれからも育てていきます。

 

――課題は?

 

田中 例年、学年で1割程度の留年者を出しています。仕方ない、では済まされない。受け入れた学生をきちんと育てる使命は果たせていない。重い課題です。

 


おわりに

 国家試験合格という「内向き」な目標にとらわれず、改革着手から10年以上たった今も、ハーバード大学に学生や教員を送り込み、大学全体の活性化を推し進めている。国からの運営費交付金が年々減少するなど、経済状態に明るさが見えない中、いまも年間約2700万円の提携費を負担し続けての取り組みだ。敬意を表したいが、果たして受験生側にどの程度その意味が理解されているのだろうか。偏差値やランキングによる進路選択の悪弊から離れ、教育の質向上に向けた大学の具体的な実践内容で選ぶ風潮が根付かない限り、こうした活性化の情熱は早晩、息切れするという懸念がぬぐえない。(奈)


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(2016年11月29日 10:27)
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