アンコンシャスバイアスに気づく《記者のじぶんごと》

41.


 記者講師派遣の仕事で「アンコンシャスバイアス」をテーマに話す機会があった。無意識の思い込みをいい、これがあると自分や周囲に不利益を及ぼすことがある。

 指摘や対話でバイアスに気づき、トラブルを回避できたことは何度もある。命にかかわりかねない思い込みもあった。大学卒業前の2月に欧州を1人で旅していた時のことだ。インターネットも携帯電話もなかった1980年代半ば、3か所目の滞在先だったドイツ北部から友人との待ち合わせ場所に向かおうとしていた。

 

 待ち合わせ場所は、旧ユーゴスラビア(現セルビア)の首都ベオグラードの中央駅だった。そこで隣国ブルガリアの通過ビザをとり、陸路でトルコのイスタンブールに行く予定だった。友人も私も若者向けの鉄道乗り放題切符を使った個人旅だったが、イスラム圏を女性1人で旅することはためらわれ、この間の同行を決めていた。

 頼りにしたのはガイドブック「地球の歩き方」の東欧編だった。ベオグラード中央駅の構内図が載っていた。私はその2年前の夏休みにも2か月余り欧州を鉄道で旅していた。ロンドン、パリ、ウィーンなど首都の駅はどこも機能的だった。ロンドン―ウィーン間の寝台列車など国境を越える長距離列車も快適だった。そのため首都の中央駅なら...と考えた。時刻表もあった。東京駅の「銀の鈴」で待ち合わせるイメージだった。

 

夏に利用した若者向け鉄道周遊切符(一部加工)

 

 待ったをかけたのが、滞在先のドイツ人家族だった。「ドイツや日本と同じように考えてはいけない」。続けてこう言った。「あのあたりでは列車が何時間も遅れることはざらだ。この図では屋根があるかわからない」

 厳寒期の北部ドイツでは日中でも氷点下だった。ユーゴスラビアは当時、社会主義国だった。滞在先家族はアドリア海沿岸を訪れたことが何度もあってバルカン半島の地域事情に詳しかった。社会主義国の空気感については、私も当時の東ドイツやハンガリーで経験していた。ハンガリーの首都ブダペストでユースホステルに泊まったが、シャワーの散水栓にシャワーヘッドがなかった。

 アガサ・クリスティのミステリー「オリエント急行殺人事件」では、列車がイスタンブールからフランスに向かう途中、大雪で立ち往生して事件が起きる。立ち往生した場所は、旧ユーゴスラビア(現クロアチア)国内だ。

 

欧州では国境を越え列車が行き交う。写真はオランダのアムステルダム中央駅(2004年12月・立石紀和撮影)

 

 私は友人宅に国際電話をかけ、待ち合わせ場所を滞在先近くのケルン駅に変更した。友人の渡航時期が半月遅れだったことが幸いした。私たちがケルンから乗った列車は立ち往生することなくベオグラードに着いた。遅れも気にならなかった。車窓からの景色は雪ばかりでとにかく寒かった。ベオグラード中央駅の待合室に屋根があったかどうか覚えていないが、友人も私もバックパックを背負ったまま長時間、凍えながら待つ事態にならず本当によかった。

 ケルン―ベオグラード間は東京から博多経由で熊本に行く距離に近い。雪に限らず豪雨や台風、地震などで交通網が乱れることは日本でも多々ある。厳寒期に日本人女性が1人で国際列車に乗車するには運行以外にも考えなければならないことが多数あった。あのとき「大丈夫か?」と問われていたら私は根拠もなく「大丈夫だ」と返していただろう。屋根という言葉でバイアスに気づかせてくれた滞在先家族に感謝している。

(笠間亜紀子)


前へ

 

(2024年9月 6日 13:00)
TOP