母が逝って半年も経ったころであろうか、見知らぬ人から手紙が来た。手紙には母が注文した振り袖が仕上がったこと、その振り袖は私の娘のために生前母が注文していたことなどが書かれてあった。
当時小学六年生の孫娘のために、母が振り袖を用意してくれていたことに驚いた。着物の好きな母にとっては、自分で生地を選び、柄や色を吟味して晴れ着を贈ることが喜びだったのだろう。まだ幼い孫娘が美しく成長し、振り袖を着た姿を思い浮かべながら選んだのだろうか。
ほどなくして包みが届いた。もう母はこの世にいないのに、また会えたような気がして、懐かしいような切ないような気持ちで包みを解くと、鮮やかな照柿色の総絞りの振り袖が現れた。秋色の澄んだ空気の中で、ひと際輝きを放っているあのつややかな柿の色が絹の光沢の中に溶け込み、蕾のような絞りの漣が寄せては返していた。
「わあー、きれい!」
小学生の娘は絹の値打ちも、総絞りがどれほど手間暇と技術のいるものかも知らず単純に喜んだ。それでもよい。この素直な歓声を母に聞かせたかった。私は着物に関する乏しい知識を総動員して、娘にこの着物の値打ちを話して聞かせた。
それから七年、振り袖は持ち主の成長を箪笥の奥で静かに待っていた。娘が成人式を迎えるころになると、あちこちの呉服屋から豪華な晴れ着のチラシが送られて来た。呉服屋は一年のうちでこの時期が勝負どころと、満を持して攻勢をかける。今どきの娘心を掴もうと、色鮮やかな友禅や、新しい感覚を取り入れた着物を用意している。まさに豪華絢爛、目もくらむばかりの美しさである。成人式は日本中の娘たちが、百花繚乱のごとく咲き誇る日でもあるのだ。
そんなチラシに引き換え、母が用意してくれた振り袖は一色である。おしゃれに敏感な娘は鮮やかな友禅や辻が花と、たった一色の総絞りのどちらが好みなのか判らなかったが、できることなら渋々では無く、喜んで総絞りの方を選んで欲しかった。
もうそろそろ決めなければいけないころ、チラシを前に、
「どんな着物がいい?」
と聞くと迷う素振りなど見せることなく、
「おばあちゃんの着物を着る。」
と答えてくれた。母の気持ちを汲んでくれたことが嬉しかった。年老いた母がわずかな年金を積み立てて、振り袖を買うのは並大抵のことではない。自分のほしい物も買わずに積み立てたに違いない。娘が祖母の思いや、職人が丹精込めて作った本物の良さを、素直に感じ取れる人に成長したことが嬉しかった。
さっそく呉服屋に行き、帯や長襦袢など必要なものを調えることにした。店の人に勧められて振り袖に手を通したところ、なんと袖丈がかなり短いではないか。十二歳の頃は小柄だったのに、いつの間にか私を追い越し、二十歳になると祖母の予想を超える成長振りを見せていた。着丈は何とかなるが、袖丈は何ともならず店の人もため息をつくばかりだった。長襦袢をこの振り袖に合わせて仕立てると、ほかの着物には寸法が合わず着られない。七年も前に作ったのだからこういう手違いが生じるのは仕方のないことだった。
あのころ母は、心筋梗塞で倒れ救急車で病院に運ばれた。しばらくの間、集中治療室で絶対安静の闘病生活を送った。医師から再びこのような発作が起きるようなことがあれば、命の保障はできないと聞かされ、暗澹たる気持ちで密かに覚悟をしたのもこのころだ。
幸い経過は順調で退院できたものの、あの時から母は自分の命がそう長くないことを、悟ったのだろうか。唐突に、
「母ちゃんの願いは、お前たち夫婦が仲良く暮らすことだよ。」
と言ったのもあのころだったし、大切にしていたネックレスをくれたのも、あのころだった。孫が二十歳になるまで生きられないと、寸法が合わないのを承知で振り袖の仕立てを頼んだのだろう。袖丈が短い振り袖姿は、借り物のように見える。しかし私は、七年も前に孫の着物を用意せざるを得なかった母の気持ちが、痛いほどに分かる。
成人式の日、娘は照柿色の鮮やかな、しかし、袖丈が短い振り袖を着た。だが、それはまぎれもなく母が孫娘を愛おしみ、愛してくれた証しでもあった。娘の晴れやかな姿の向こうに母の笑顔が見えたような気がして、私は胸が熱くなった。その笑顔に私はそっとつぶやく。
「母ちゃん、見た? きれいだねー。似合ってるよ。さすが母ちゃんが見立てたことはあるね。」
夫は匂い立つばかりに美しく変身した娘を、まぶしそうな顔でみつめた。それからとろけるような笑顔で、写真を何枚も撮った。
寸足らずの振り袖は、母の思いをのせて、孫娘を愛おしく優しく包み込んでいた。