夫婦二人暮らし。夫はもともと優しい人だったが、退院後は私の体調を心配して、より優しく接してくれた。ガン再発の可能性を考え自分の命の心配もあったが、優しい夫との生活は幸せだった。
わが家の朝は、キッチンで夫と二人並んで調理するのがいつもの光景だった。専業主婦に限らず主婦が家族みんなの朝食準備を行うのが一般的だが、私たち夫婦は互いの朝食を準備した。夫は私のために、私は夫のために調理した。
夫はガンに効果があるらしい自家製野菜ジュースを毎朝かかさず私のために作ってくれた。人参をはじめとした複数の野菜や果物を切ってジューサーにセットする。野菜ジュースを絞ったあとの搾りかすや洗い物や片付けも全部きちんと最後までやってくれた。その間に私は珈琲を淹れながら、夫のための朝食作り。それに加え夫が会社へ持っていくお弁当を作る。大柄な夫とせせこましく広くもないキッチンで二人まな板を並べる朝は慌ただしくも愉しい日常だった。
ほかにも夫婦で何年も続けてきたことがある。私にガンが見つかる前から、朝晩に握手とハグを。
朝は夫が会社へ出掛ける前に玄関で見送る際、
「今日もよろしくお願いします」
と、握手したあとに互いを抱きしめ、そのまま背中を七拍子のリズムで軽く叩く。
夜は眠る前、二階の寝室に上がる前に、
「今日もありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
そう言いながら、握手してぎゅっとするハグ。そしてまた七回背中をタップする。
「とんとんとんとんとんとんとん」
毎日一日二回朝と晩、かかすことなく続けてきた日課だった。
円満なコミュニケーションとしての話を夫婦で聞く機会があって、最初は握手だけから始まったことだった。長年続けていくうちに夫の提案でハグと背中のタップが数年前から加わった。
それがある日突然、いつもの日常がなくなってしまった。
新型コロナウイルス感染症で夫は帰らぬ人となってしまった。信じられなかった。いきなり、夫という支えをなくし目の前が真っ暗になった。あっという間に幸せがもろくも崩れ去り、想像もしていなかった事態に心が追い付かなかった。夫が亡くなってもうすぐ一年が経とうとしているが、未だ悲しみの沼から抜け出すことができず涙に暮れている。大病を患ったこの数年は特に、夫に寄り添うように過ごした日々だった。
毎日、夫の写真を眺めては涙している。夫との日々を辿れば感謝の言葉に溢れていた。
日常の些細なことでも「ありがとう」の声掛けが常に、わが家にはあった。
当たり前のようにするべき家事一般のあれこれや当然の役割も自然に「ありがとうね」と言ってくれていた。だからといって夫が何もしなかったわけではなく逆に家事全般を嫌がらずになんでも手伝ってくれた。ごみ捨て、ごみ当番、買い物、庭の草むしり、ペットの世話、風呂掃除、洗濯物干し、回覧板回し、片付け、戸締り等々、あげるとキリがない。当然、夫がしてくれる多くの雑事ひとつひとつに「ありがとうね」の声掛けを心から口にすることができた。
周囲に離婚した友人は多い。五十代の熟年離婚も。離婚までしなくとも、配偶者の悪口ばかりが多く、そういった愚痴を何度も繰り返し聞かされて返答に困ることがあった。散々よそのご主人に対しての罵詈雑言を聞いた後で「うちはそうじゃない」なんてことは言えるわけもなく、話に合わせて適当にこちらも夫を悪者扱いしたことが幾度かあった。事実とは異なる話をして相手を満足させたような気になっていた。振り返ると、勝手に濡れ衣を着せられた夫に申し訳ない思いになる。
わが家には普通に「ありがとう」の感謝がたくさんあった。
夫がコロナ感染症で入院したとき、病院へ見舞いには行けないが毎日リモート面会させてもらった。互いのスマホを使用してアプリ動画での面会。人工呼吸器が付けられている夫は口頭で話すことができないため、筆談したものをこちら側に見せてくれる形でのコミュニケーションだった。看護師さんがそれらの全てを手伝ってくれた。毎日、直接ではないが夫と会話を交わせることが救いだった。
「パパ、頑張って。早く治って帰ってきて」
「かえりたいゾー」
「パパ、待ってるよ~」
こちらからは手を振りながら呼びかけ、向こうからは看護師さんがスマホを持ち、病室の様子や夫の顔、筆談内容を見せてくれる。
「今後、声でるようになるかな」
「ちょっとでも動くとめまいする」
「明日はもうちょっとラクになるかな」
「ちょっと苦しい」
病状には波があり、筆談でしっかりコミュニケーションできる日もあれば、始まってすぐに終わらなければならないときもあった。日を追うごとに後者が多くなってきた。文字の乱れで具合の悪さが伝わった。
「重くて持っていられない」
鉛筆を持つのもやっとのことになる。筆談内容も書き始めのポジティブなものから二週間経過しネガティブな文面になっていく。読めるかどうかの筆圧の弱い薄い文字。残っている力を振り絞って命がけで震える手で文字を残してくれた。
「もう戻れる気がしないので......たぶん今夜でおわりと思うので......もう無理だと思う。もう書く力もないです。げんかいです。ありがとうございました。とても幸せな日々でした」
持てる力を出し切って最後に感謝の言葉を綴ってくれた。発病から一か月のことだった。
夫と夫婦でいられたことが本当に幸せだった。心から夫へ感謝の思いでいる。
「こちらこそ、ありがとうございました」
夫とともに過ごした時間、思い出すべてに深く感謝する。
「ありがとう」をありがとう。