MyScope 33.「甲子園」がなくても

最初で最後の甲子園はスタンドだった(2017年8月)


33.「甲子園」がなくても


日本大学3年 棚橋祐太

 

 3年前の夏、甲子園球場のスタンドで、私の高校野球生活は終わった。
 9歳から野球を始め、地元の強豪高校に進学、投手でレギュラーを目指したが、結局、ベンチ入りは果たせなかった。それでも、2軍の遠征キャプテン、下級生のトレーニング担当などを務め、「やり切った」との思いがあり、大学では野球から離れて学業に専念することにした。
 英語を習得するため、フィリピン、カナダ、アメリカに語学留学した。最初は「ストレート」「ボディー」などのスポーツ用語しか理解できず、タクシー料金を多く支払って、先生に「だまされてるよ」と言われたこともある。
 野球では、弱点を克服する練習メニューを毎日決め、取り組んでいた。それに習い、英語でもリスニングに重点を置く勉強計画を作成。現地の人の話し方を忠実に見習い、発音できない語句の克服に努めた。
 また、日本では外国人客が多いホテルでアルバイトをし、野球部で培った「あいさつ」や「掃除」の作法を、英語力をさらに磨く武器にした。3度の留学を終えた昨年、英語民間試験「TOEIC」の点数は500点アップした。
 今年、高校野球は春も夏も、甲子園での大会が中止になった。代わりに地方で独自大会が行われ、甲子園では交流試合が予定されている。スタンドでも本当の「甲子園」に行けただけ、私は恵まれていたと思うが、甲子園に行くかどうかに関わらず、「やり抜けば必ず何かが残る」とのメッセージを球児たちに送りたい。



32<< >>34

 

(2020年7月27日 11:45)
TOP