「最期はウクライナで迎えたい」~避難民支援で見た絶望と希望@ポーランド

避難民たちの荷物にはそれぞれの人生の重みが詰まっていた

 

 遠く離れた日本で学ぶ大学生として、困難な状況にある人たちの力になりたい─。8月15日から31日の17日間、日本財団ボランティアセンターのウクライナ避難民支援に参加し、ウクライナとの国境の町・ポーランドのメディカでボランティアとして活動した。(東洋大学・樋口佳純、写真は日本財団ボランティアセンター提供)

 

国境の駅 避難民と肩を組み、手を取って----

 

 国境から西に約13 ㌔にあるプシェミシル。日本でもよく耳にするウクライナ西部の中心都市・リビウからは電車で3時間ほどの場所にある。侵攻から半年が過ぎても、ウクライナから避難する人々は後を絶たない。

 

 私が担当したのは主に二つ。列車やバスに乗り換える人々の案内と、荷物を運ぶこと。ウクライナへ帰国する人々は、ここで出国するためのパスポートコントロールを受けるため、大きくて重い荷物を駅のエントランスから、一番遠いプラットホームまで運ばなければならない。線路の地下を通るため、階段を下り、また上る。私たち若者にもつらい作業は、とりわけ「弱者」に重くのしかかる。

 

絶望と希望が交錯したプシェミシル駅のホーム

 

 活動の2日目。小さな赤ちゃんをベビーカーに乗せ、ビニールバッグを両脇に抱えた女性に出会った。手伝おうとビニールバッグを受け取ると、持ち手が切れてしまっていることに気づいた。何回も繕われてはちぎれた跡を見て、母子の過酷な 道のりを思い知らされた。

 エスカレーターやエレベーターのないプシェミシル駅。避難民たちと、何度となく手を取り合い、肩を組み、体を支えながら一緒に階段を上った。

 

国境の町・メディカでは避難所の撤去作業を行った

 

 あるお年寄りの女性を手助けした。82 歳になる私の祖母と同じくらいの年齢だろうか。祖母がもし、同じような状況になって手助けもなく階段を上らなければならなかったとしたら......。あふれる涙が止まらなかった。

 

 駅からは、2日に1度、午後10時30分にドイツ行きの列車が発車する。避難民向けの無料運行のため、定員以上の乗車希望者が集まる。ごった返すエントランスで、涙ながらに乗車を訴えかける女性がいた。2人の子どもを連れ、1人はまだ1歳にも満たないという。父親は祖国に残り戦っているのだろうか。どんなに懇願されても、ボランティアの私にはこの女性を乗車させる権限はない。「ブイバーチテ(ごめんなさい)」と伝えることしかできず、強い無力感がのしかかった。

 

平和を願うメッセージが書かれた折り鶴


 列車に乗れるのか、乗れないのか、声を荒らげながら問いかけてくる男性もいた。突然、理不尽な怒りを向けられ、恐怖を抱くとともに、明日の自分がどうなるのか分からない、という男性の胸中を思った。もし自分が同じ境遇に陥ったら......。とても冷静ではいられないはずだ。
 

独立記念日は祖国で迎えたい

 そんな経験を補って余りあるのは、避難民からかけられた数え切れないほどの感謝の言葉だ。活動の最終日、車椅子の女 性を誘導した。車椅子で移動するためには、地上の線路を横断しなければならない。駅を警備する警察に身振り手振りも交えた英語で事情を説明し、何とか線路を渡ってもらうことができた。目に涙を浮かべながら、「ジャークユ(ありがとう)」と伝えられた時、ボランティアとして活動した間に感じた無力感や、やるせなさが少し報われたように感じた。「何のために来たのか」と悩むこともあったが、私は確かに誰かの役に立つことができたのだ、と感じた。

 

私たちが活動したプシェミシル駅

 

 同じ日に、国境の町・メディカを訪れた。ウクライナから避難してきたばかりの女性が、大きな荷物を抱えながら、バス停まで歩いていた。南部のニコポリ市からやってきたという女性は「ロシア軍が石油貯蔵所と警察がいる場所に2発の爆弾を投下した時、恐怖で体が震えた」。と語ってくれた。ハグして別れた女性が、避難先で安心して休めるよう、願わずにはいられなかった。 

 

支援物資の「ごみ」の多さが、避難民が重ねた月日を物語る

 

 驚かされたのは、ウクライナから避難する人々と同じぐらい、帰国する人々が多かったこと。帰国する同世代の女性の荷物を運びながら、帰国の理由を尋ねてみた。「8月24日のウクライナ独立記念日を、母国で家族と一緒に祝いたい。そして最期は、母国で終わりを迎えたい」
 同世代の若者が、「終わり」を考えなければならない状況。胸が締め付けられ、かける言葉が見つからなかった。

 

 私自身、日々のニュースにアンテナを張り、自分なりに考えてきたつもりだった。私たちの大学で行われたゼレンスキー大統領のオンライン講演にも参加し、メッセージを心に刻んだつもりだった。それでも突き付けられた数々の厳しい現実。そして、ささやかな希望。私が日本をたったのは奇しくも77回目の終戦記念日となる8月15日だった。平和とは何か、そして、平和のために自分にできることは何か。これからも胸に刻んで、行動していきたい。

 

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(2022年9月30日 08:10)
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