高校生が見た被災地のいま(2)生かされなかった教訓 宮城県名取市

 2015年夏に実施された海外プロジェクト探検隊(読売新聞社主催、三菱商事特別協賛)初の国内ツアー。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城、岩手両県の被災地を探検隊メンバーとなった6人の高校生が巡った3日間をリポートする。

【関連記事】小泉進次郎衆院議員と被災地復興で意見交換>>


<<(1)を読む

 

日和山のふもとに転がっていた石碑。昭和三陸津波の教訓を後世に残す ものだったが・・・

生かされなかった教訓 宮城県名取市

2015年7月31日

 

 バスは沿岸部を閖上地区(宮城県名取市)へ向かう。重機を投入してのかさ上げ工事があちこちで進行中だ。この日、東日本大震災の被災経験を持つタクシー運転手、石浜信次がバスに同乗し、語り部となってくれた。

 

 到着した閖上地区は、廃墟と化したコンビニエンスストアや学校など鉄筋コンクリートの建物が残るだけ。「嵐が去った後のようだ。街が跡形もなく消え、雑草だけ残された感じがする」と渡辺啓介(都立日比谷高校2年)がポツリ漏らした。

 石浜によれば、この地域では震災発生直後、消防署員が一軒ごとに避難するよう伝えて回ったが、聞きいれない家庭も多々あった。「津波など来ない」と思って被害に遭った人が多かっただろう。

 津波の来襲前には海や川の水が引いて普段は見えない底が露出する現象が見られる。当時、近くの名取川の水も絶えた。珍しいから、と見に行って津波に巻き込まれた人もいた。知識がなかったのか、それとも、現実感がなかったのか――。

 バスが走る道の脇に見える雑草は黄色く変色している。津波が土壌に残した塩分を吸い込んだためだ。

 

 3階建ての閖上中学校に到着した。3本あった国旗掲揚台のポールは1本が傾き、1本はなくなっている。時計は震災発生時刻の(午後)2時46分を指したまま止まっている。このあたりは1.8メートルの津波が時速40〜50キロのスピードで押し寄せたと見られている。中学校には当時、近隣の住民らも避難し約800人が助かっている。

 近辺では歩道橋に逃げて助かった人、震災発生を受けて閉鎖された名取インターチェンジに車でバリケードを突き破って乗り上げて助かった人もいたと聞かされた。

閖上中学の校舎にかかる時計は東日本大震災発生時刻で時を止めたまま
閖上中学の近くに設置された震災で犠牲となった同中生徒の慰霊碑

 

 閖上中学校から少し離れたところに日和山という高さ6メートルほどの山がある。このあたりは8.7㍍の津波に呑まれており、山頂部にあった富主姫神社が流される被害を受けた。ふもとに高さ2メートルをゆうに超える石碑が倒れていた。「地震があったら津波の用心」で始まる文言が彫り込まれたこの石碑は、1933年の「昭和三陸津波」の教訓を後世に残そうと当時の人たちが建立したものだ。地元民ですら、存在を知らない人がほとんどだったという。

 「先人が警告してくれていたのに、また犠牲者を出してしまったのです」。石浜の言葉に探検隊メンバー一同、言葉を失った。

(敬称略)


(3)を読む>>

第12回海外プロジェクト探検隊参加者

渡辺啓介君(都立日比谷高校2年)

田辺雄斗君(桐蔭学園中等教育学校5年)

太田直希君(宮城県仙台第二高校2年)

酒井恵理香さん(渋谷教育学園渋谷高校2年)

佐藤千夏さん(宮城県気仙沼高校2年)

川内彩可さん(都立戸山高校2年)

(2016年2月 3日 10:01)
TOP