2015年夏に実施された海外プロジェクト探検隊(読売新聞社主催、三菱商事特別協賛)初の国内ツアー。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城、岩手両県の被災地を探検隊メンバーとなった6人の高校生が巡った3日間をリポートする。
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東日本大震災当時に押し寄せた津波の高さを示すガソリンスタンドの看板。その高さにぞっとさせられる |
復興への心意気に触れ 岩手県陸前高田市
2015年8月2日
3日間の被災地ツアーの最後を締めくくることになったのは、岩手県陸前高田市のホテル「キャピタル1000」への取材だった。支配人の人首(ひとかべ)ますよを訪ねた。
ホテルはかつて国道45号線沿いの高田松原の近くにあった。東日本大震災で津波に襲われたほか、周辺が地盤沈下したため、同じ場所で再開するのは不可能だった。しかし、地元の人たちのお祝いの会場として利用され「陸前高田の迎賓館」との別称で愛された。ホテル側の再開への意欲は強かった。
人首は震災前、旧ホテルそばで海鮮処を切り盛りする女将だった。自宅も店も津波で失ってしまったが、その接客サービスの徹底ぶりをホテルの幹部から以前より認められており、震災の年の暮れに、ホテル側から誘いを受けた。そして、ホテル再開へ向けた事業に加わった。震災から約2年半後、約2キロ・メートル離れた高台でホテルの営業は再開された。
3児の母。泣いているヒマはなかった。「何もかもが津波に流されて本当につらかった。でも、この街が好きだから負けたくなかった。何かできないかと考えていた」と当時を振り返る。
再開後のホテルの繁盛ぶりは評判となった。オープンと同時に結婚式が相次いだ。再開を待って式を挙げたカップルもいた。昼も夜も宴会が立て続けに入ってきた。地域コミュニティー復活に寄与できたことを人首は誇りに思っている。
「どうしたら、そんなに前向きになれるのでしょうか」。川内彩可(都立戸山高校2年)が尋ねた。人首は少し考えると答えた。「つらいのです。今でも油断すると涙が出ます。でも、生きていかなければならない。立ち直って生きていくことで、震災を見返してやるの」。
陸前高田市の復興の象徴となったキャピタル1000の人首支配人の話に聞き入る |
東京、神奈川から参加した4人と宮城県の2人は、ツアー中の意見交換を通じて、東日本大震災をめぐり首都圏と東北地方では情報面や防災教育には格差があることに気づかされた。
気仙沼の学校では津波襲来を想定した避難訓練があると聞かされ、東京、神奈川の探検隊メンバーが驚く。宮城県内のテレビでは連日、震災関連の報道があるのに、首都圏では被災地のニュースは以前ほど流れないことも、互いに教え合う格好となった。
「東日本大震災の記憶の風化がもう始まっている」「震災体験を全国で共有できれば、地震に強い国になれるのでは」「首都圏の生徒も津波からの身の守り方を学ぶ機会があってもいいのでは」――。
互いに意識を高め合い、被災地の死と生に向き合った3日間のツアーが終了した。(敬称略)
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第12回海外プロジェクト探検隊参加者
渡辺啓介君(都立日比谷高校2年)
田辺雄斗君(桐蔭学園中等教育学校5年)
太田直希君(宮城県仙台第二高校2年)
酒井恵理香さん(渋谷教育学園渋谷高校2年)
佐藤千夏さん(宮城県気仙沼高校2年)
川内彩可さん(都立戸山高校2年)