[51]伝授された奥義なのに
「体育の日」が「スポーツの日」になり、10月の第2月曜日になった。なかなか新しいことには慣れないもので、10月10日は体育の日、と私の中では根付いてしまっている。困ったものだ。 その10月10日に、コロナで中断していたイベント「ぞうきんがけレース」が復活したというニュースをネットサーフィン中に見つけた。 学級活動の時間に、子どもたちとぞうきんがけでレースをしたことを思い出す。思いのほか技術や体力が必要だった。慣れていないとまっすぐに進むことも難しかったり、途中でぞうきんが手から離れてしまったりすることもしばしば。単純なレースがゆえに結構盛り上がって、子どもたちと楽しむことができた。今だったら「けがでもしたらどうするんですか」と声が飛びそうだが。
教師になりたての頃、「清掃指導は、教師がきちんと道具の使い方などの見本を示せなければいけない」と先輩の教師から教えられたことがある。その先生は、ほうきの達人で、当時板張りだった教室の床や廊下の隅々のほこりを手早く掃きとっていた。ポイントは板目の間のほこりを取る時、ほうきを自分の体と垂直になる向きにして使うこと。そして、ほうきのすり減りが常に左右同じになるように注意すること。わたしもだいぶ上手になり、自慢げに子どもたちに教えたものだ。 そのうち、ほうきはモップや床ぼうき、あるいは掃除機に取って代わられて、少なくなっている。板張りの床などはほとんどなくなって、わたしの奥義を見せる機会も減ってしまった。
人間が自分の経験から得てきた技術は、ひとつひとつとても意味があり奥深い。データに変換してAIに教え込めばいいという意見もあるかもしれない。でも、その先生からは技術だけでなく、教師の在り方について考える機会も伝授されたような気がする。 とりあえず、師走なので自分の家の清掃に奥義を見せようか。そう思ったが、「ほこりがたつから、掃除機にしてください」と家神様から声がかかりそうなので、奥義はしまっておくことにしよう。
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田中孝宏 読売新聞教育ネットワーク・アドバイザー
1960年千葉県船橋市生まれ。元小学校長。「ブラタモリ」にならって「ぶらタナカ」を続けている。職場の仲間や友人を誘って東京近郊の歴史ある地域を歩く。「人々はなぜ、この場所に住むようになったのだろう」と考えると、興味は尽きない。