田中センセイの徒然日誌[52]時に合わせるか 時を合わせるか

[52]時に合わせるか 時を合わせるか

 

 目的地に向かって歩く。初めての時と二度目の時では、なぜか二度目の方が早く感じられる。道も変えていないのにどうしてだろう。人は慣れてくると速く歩けるからか。しかし、かかった時間は変わらない。時間の感覚は不思議なものだ。「楽しい時は早く過ぎ去る」。これは誰もが感じることだろう。

 

 面白い授業は、子どもたちが時間を忘れて取り組む姿が見られる。参観している大人たちも飽きない。でも学校の授業は、時間が細かく区切られていて非情のチャイムが時間を切り刻んでしまう。全部が面白い授業ではないからそれでいいという人もいるだろうが。

 

 そんなことを考えている時に、「小中学校で、授業の始まりや終わりを知らせるチャイムを流さない『ノーチャイム制』が広がっている」(2022年9月24日読売新聞夕刊)という記事を目にした。ノーチャイムは、わたしも何度か短期間経験したことがある。始めた時は少し混乱して大変だったが、道を歩くのと同じで、慣れてくるとかえってスムーズに学校生活が営めた。何よりいいのは、子どもたちが、学習に熱中し始めた時に強制的に活動を中止させることなく、柔軟に時間を扱えたことだ。そう、人間に合わせて時を扱える。

 

 学校は時間割や時程を組んで、チャイムで人間の行動を束縛してしまう面がある。規則正しい学習習慣はもちろん大切ではあるのだが、どの教科、どの単元内容も同じ時間で対応する今の方法を見直すこともできるのではないだろうか。特に課題解決学習などはもっと柔軟な時間設定が必要なのは明白だ。

 

 「人間が時間に合わせようとせず、時間を人間に合わせればよい」

 

 そんなたいそうなことを考えながら新しい年を迎えた。それにしても、年を取ると一年が早く感じるなあ。

 

 

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田中孝宏 読売新聞教育ネットワーク・アドバイザー

1960年千葉県船橋市生まれ。元小学校長。「ブラタモリ」にならって「ぶらタナカ」を続けている。職場の仲間や友人を誘って東京近郊の歴史ある地域を歩く。「人々はなぜ、この場所に住むようになったのだろう」と考えると、興味は尽きない。

 

(2023年1月 5日 10:28)
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