[73]デジタルより鮮明に残る記憶
入学式や運動会、修学旅行などの学校行事では、先生や保護者に代わって「スクールフォトカメラマン」が子どもたちの写真を撮る。プロの撮影技術を買って──というだけでなく、子どもの肖像権保護や迷惑な撮影を予防するといった目的もある。だが、スクールフォトカメラマンが近年、全国的に不足しているそうだ。
そんな現状を報じる記事が、9月28日付の読売新聞夕刊社会面にあった。地域の写真館が相次いで廃業している影響だという。デジタルカメラやスマホの普及で、誰でも手軽に高画質の写真や動画を撮れるようになったため、写真館などの利用者が減ったらしい。新型コロナ禍で学校行事の中止が続いた時期に、スクールフォト撮影をやめたカメラマンも多いという。
スクールフォトといえば......。私は学校だよりにこう書いたことがある。「ファインダー越しの思い出よりも、あなたの目にうつる子どもの姿を記憶に残しませんか」
その頃は、運動会などの学校行事で、デジカメを構える保護者・観衆がとても多くなっていた。撮影の目的は人それぞれだろう。「遠くに住む親せきに見せたい」「病院や施設に入っている祖父母に届ける」「わが子が大人になったら一緒に見られる」。そうしたメリットを否定する気はない。
しかし、運動会で「がんばれー」と応援の歓声をあげることは、子どもたちにとって大きな励みになるし、安心感も与える。それを忘れて撮影に夢中になり、応援の声が出なくなるのは本末転倒ではないか。ある意味で、デジタル化とは映像を通してすべてを行うことともいえるが、映像を残すのはスクールフォトカメラマンに任せてしまう選択肢もある。そんな思いを、私は学校だよりの一文に込めた。
デジタルを介さなくても、子どもたちを見ることはできる。いつだって、現実に、あなたのすぐそばにいる人なのだから。じっと見つめて、見つめ返し、ただそこにいて笑顔を返す。そうやって紡がれ、刻まれた記憶は、デジタル映像よりも鮮明に心に残るものだと信じたい。
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田中孝宏 読売新聞教育ネットワーク・アドバイザー
1960年千葉県船橋市生まれ。元小学校長。「ブラタモリ」にならって「ぶらタナカ」を続けている。職場の仲間や友人を誘って東京近郊の歴史ある地域を歩く。「人々はなぜ、この場所に住むようになったのだろう」と考えると、興味は尽きない。