[79]ぼーっとする時間
学校の1時間は「1校時」と呼ばれ、小学校では45分、中学校では50分が慣例となっている。この時間枠を基準に、月曜から金曜まで1週間の時間割が組まれ、カリキュラムと学校行事が実行されていく。時間割には寸分の余裕もない。教員の働き方改革の論議がされたとき、ある教員が「トイレに行く時間もない」と発言した。あながち大げさではないと感じたものだ。
2月4日付読売新聞朝刊「あえて『ぼーっとする』時間」という記事が目についたのは、学校という慌ただしい世界に長く身を置いてきたせいもあると思う。東海道新幹線の東京―新大阪間で「ぼーっとする大会 in 新幹線」が開かれたそうだ。貸し切り車両に乗って文字通りぼーっとするイベントで、ぼーっとしていないと判定された乗客は名古屋駅などで途中下車させられたという。世の中に情報があふれる昨今、ぼーっとする時間の意義が問い直されているのかもしれない。
時間の使い方や生活のペースは、人によってさまざまだ。学校のように分刻みのスケジュールで動き続けるのが性に合う人もいれば、ぼーっとする時間の余裕が必要な人もいる。
英語の「school(学校)」はギリシャ語の「scholē(スコレー)」が語源だと伝わる。辞書を引くと「余暇」や「暇」という意味を持つ言葉らしい。語源をふまえれば、学校の時間割のなかで「ぼーっとする時間」が1校時としてカウントされても、決して不自然ではない気もする。某テレビ局のキャラクターから「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られそうだが、私は胸を張って言い返したい。「学校にいるときだって、少しはぼーっとしたっていいんじゃねぇ?」 子どもたちそれぞれの性に合った時間割を組んであげられる──そんな余裕のある教育現場、あったらいいなぁ。
|
[78]<< | 一覧 |
田中孝宏 読売新聞教育ネットワーク・アドバイザー
1960年千葉県船橋市生まれ。元小学校長。「ブラタモリ」にならって「ぶらタナカ」を続けている。職場の仲間や友人を誘って東京近郊の歴史ある地域を歩く。「人々はなぜ、この場所に住むようになったのだろう」と考えると、興味は尽きない。