オノ・ヨーコさんの直筆カードに教わったこと《記者のじぶんごと》

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 週末に自宅で書棚を整理していて、アメリカを拠点に活躍する美術家オノ・ヨーコさんから届いた直筆のカードを見つけた。

 1993年10月にヨーコさんが東京で個展を開催した折にインタビューをし、10月7日付の朝刊解説面「顔」欄に600字余りの記事を書いた。その記事掲載後にNYから届いたものだった。ヨーコさんが自作の脇に禅のポーズで座した写真カードで、中央に縦書きで「夢をもとう!」と黒く達筆な字で記されている。

 

 ヨーコさんは当時60歳。「オノ・ヨーコさんを取材しませんか」という連絡があって、世界で最も著名な日本人女性に会いに行った。インターネットが普及していない頃のことだ。活動拠点が海外だったこともあり、読売新聞ではヨーコさんのインタビュー記事を長く掲載していなかった。30歳だった私は社会部に所属し、芸術分野に特に明るいわけではなかった。ワクワクと高揚しながら、一方で大いに緊張もしていた。

 記事では個展を紹介し、ヨーコさんが語る美しい日本語や眼鏡のことも書いた。ジョン・レノン氏のことに触れないことを事前に了解していた。さらにその場で、インタビューの原稿掲載は原則1回限り、録音したテープは原稿作成以外に使わないことなど、当時としては珍しかった覚書をヨーコさんと交わした。

 

 

 今回カードを手に取って2つのことに気づいた。

 1つは封筒の切手が女性の絵柄で、そこに名前らしき文字と「Pioneer Pilot」と記されていたこと。検索したらアメリカ合衆国の女性パイロットの草分け、ハリエット・クインビーだった。1912年にドーバー海峡の横断飛行に成功した最初の女性だった。もう1つはカードに「亜紀子様」とファーストネームを記し、「いい記事だと思いました」と自分を主語に、私をエンカレッジして(勇気づけて)くれていたことだ。

 人種や性差を超えて世界で活躍している芸術家が、同じ性を持つ若年の取材者に対してそこまで細やかな配慮をしてくれていたことに感銘を受けた。今更で恥ずかしい限りだが、気づくことができてよかった。

 

 この夏、ヨーコさんの作品「Wish Tree」が宮城県女川町の震災遺構、旧女川交番前に展示された。芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」への参加だった。訪れた人が願いごとを短冊に書き、ツバキの木に結ぶ趣向だった。あの時、創作の信念を人種や性差を超え、「人間であることの表現」と語ったヨーコさんは、今は年齢も超越してさらに前に進んでいる。

 夢をもつことに性差も年齢も関係ない。私も来年60歳になる。ヨーコさんから届いたメッセージをいま改めて自分自身で反すうし、多くの方々と共有したい。

 夢をもとう!夢を言葉にしよう!すべてはそこから始まる。

(笠間 亜紀子)

 

オノ・ヨーコさんの「Wish Tree」に願い事を記した短冊を結ぶ来場者(女川町で)

 


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(2021年11月18日 14:36)
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