茣蓙(ござ)とままごとキッチン《記者のじぶんごと》

15.


 女性二人に叱られたことがある。鍋のみそ汁を私がおわんによそおうとしたときのことである。

 「それはお母さんがやることだよ」「お父さんがやったら火傷するでしょう」

 大時代な家庭だと思われた方は察しがいい。1960年代半ば、それもままごとでの話だ。

 

 公園に敷いた茣蓙(ござ)の上。夕食の支度が整いつつある場面だった。女の子2人はそれぞれ母親役と娘役、父親役が私。3人とも4歳か5歳だった。ご飯のおひつとみそ汁の鍋は、ちゃぶ台のわきに置いてあるという設定だったと思う。

 実際に私の父親は毎日鰹節(かつおぶし)を削り、ちゃぶ台わきの鍋から家族4人のおわんにみそ汁をよそっていた。火傷などしたことはない。しかし、気色ばむ2人を前にして、わが家の方が変わっているのかと不安になった。帰宅してその話をしたかどうかは覚えていないが、したところで福島県会津地方出身の父は耳を貸さなかっただろう。

 

 ままごとでの出来事は、家事の役割分担をめぐる話題が新聞やテレビ取り上げられるたびに思い出すことになった。昨年秋、「<夫婦って...>夫の退職で関係良好に 家事の大変さに気づく」(読売新聞2021年11月5日朝刊)という記事を読んだときも、その記憶がよみがえった。妻に家事や育児を任せきりにしてきた男性が定年退職して訪問介護の仕事につき、利用者宅で掃除や料理をするうちに妻への感謝の気持ちがわいたという。「気づくのに長い時間がかかりましたが、本当に良かったと思っています」と男性は語っている。

 

 記事に登場する男性は団塊の世代だが、私の父親はさらに上、今年93歳になる。記事を読んだ後、父に電話で尋ねると「一人に任せていたら大変だからやっていただけ」。そっけない答えが返ってきた。「それに、子どものころはみんなで手分けしないと時間がかかって仕方がなかった」

 父の実家は農家で、家族は一番多いときで13人だった。ご飯茶わんも汁わんもだれのものという区別はない。広間の中央に座卓をつなげて出し、茶わんと汁わんを並べる。手の空いているだれかがご飯とみそ汁を次々によそって、端までリレーしていく。手伝っているという感覚はなかっただろう。

 

 鰹節はパックの品に代わり、ダイニングテーブルを入れてからはみそ汁の鍋はガスコンロにかけたままになった。大人2人が立ち働くには台所が狭すぎて、ご飯もみそ汁も母がよそうようになった。ただ、お茶が飲みたければ自分でいれるし、食べたいものがあれば自分で買ってくる。母が出かけているときは子どもたちの食事を作る。父はずっとそれを続けてきた。

 もちろん、父がしてきたのは家事のほんの一部に過ぎない。それ以外のことを私がままごとで頼まれたら、「お父さんの仕事じゃないよ」と拒んだかもしれない。掃除や洗濯の遊びがあったら、そもそも仲間に入っていなかっただろう。だが、ごく一部ではあっても親がさほど意識せずにやっていたことが、子どもの記憶の底に刻み付けられたのは間違いない。

 

 今の子どもたちはどんなままごとをしているのだろうか。ネットで検索していたら、ピンクなどが基調だったままごと用のキッチンにブルー系のものが登場しているという記事があった(「FQ JAPAN 男の育児online」)。ままごとキッチンで遊ぶのが好きな男の子が多いからと説明されている。一方で、「男の子は」というのは思い込みという書き込みもあった。

 訪問介護の仕事を始めて家事の大変さがわかった男性のように、きっかけがなければ無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)に気づくのは難しい。色々な体験をしたり、様々な考え方に接したりするうちに自分の思い込みがあぶり出されて、ほかの人が直面している不都合が見えてくるようになる。

 

 茣蓙の上で私とちゃぶ台を囲んだ幼い友だち2人を現代のままごとキッチンの前に呼んで来ることができたとしたら、今度はきちんと言おうと思う。

 「うちではお父さんがやっているんだ。だから、僕がやるよ」

 2人はどんな顔をするだろうか。それはわからないが、どんな顔をされたとしてもそこから次の会話が始まる気がする。

(橋本 弘道


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(2022年2月20日 09:51)
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