だれがバリアを作っている?《記者のじぶんごと》

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 仕事の約束時刻に遅れそうになり、急いで横断歩道を渡る。車道の拡幅工事が終わりに近づいていて、歩道の一部をガードフェンスで仕切って縁石を敷く作業が始まろうとしていた。しばらく歩いてから思い出した。フェンスの内側の電柱には、視覚障がい者のための音響信号用押しボタンが付けられている。少し後の時刻、白杖を持った女性がボタンを押して横断しているのを見かけることがある。きょうはボタンを押せるだろうか。

 数年前の出来事を思い出した。地下鉄ホームへの階段を下りたところで、知人の後ろ姿を見かけた。取材で世話になった人だが、声をかけるのはためらわれた。その二、三日前、仕事で責任を問われ、不本意な部署に異動になったことを伝え聞いていた。人混みのホームで、お互いに気まずい思いをしたくはかった。
 知人の右の二の腕を、初老の男性が後ろからつかんでいることに気づいた。電車がホームに入ってくると、初老の男性は「ありがとうございました」と知人に頭を下げ、電車に乗った。男性は白杖を持っていた。

 「バスが来ましたよ」(文・由美村嬉々、絵・松本春野 アリス館)という絵本を読売KODOMO新聞(2022年9月1日「本屋さんイチオシ」)で知った。病気で失明した男性が白杖を使いながら通勤するときに、バス停で小学生の女の子が「バスが来ましたよ」と教えてくれた。降りる停留所も同じで、毎日バスで一緒に通勤、通学する日が続いた。女の子が小学校を卒業すると、妹や友だちが手助けをしてくれて、そのバトンは次々と受け継がれた。

 和歌山市での実話をもとにした作品だ。10年以上続いた男性と小学生たちの交流は、コロナ禍で男性が時差通勤になっていったん途切れたが、1年半後に再開した。<(小学生たちが)以前と変わらず、小さな手を差し伸べてくれた。「運動会はいつ?」「勉強は順調?」。たわいもない会話がうれしかった>(2022年3月15日読売新聞大阪本社版夕刊)。

 あたりまえのことだが、職場や学校で、そして家庭で、楽しいことばかりがあるわけではない。だれにも会いたくない、他の人のことなど考えられない、考えたくもないという日もあるだろう。自分のことに手一杯で、周囲が目に入らないこともあるに違いない。だが、わずかなことが他の人の笑顔につながることがある。自分で作った障壁に少し穴をあけてみると、こちらにも明かりが差すはずだ。記事で男性が語っている。「子どもたちが支えてくれるから頑張れる。もはや生きがいです」

 電柱に音響信号用押しボタンがついているのを思い出した私は、交差点に引き返した。作業に取り掛かろうとしていた人たちの一人に押しボタンのことを伝えると、すぐにガードフェンスを電柱のぎりぎり近くまで移動してくれた。
 約束の時刻には少し遅れるかもしれない。だが、それがどれほどのことだろうか。

(橋本 弘道


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(2023年3月 3日 18:16)
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