コドモが減ると、困るコト《記者のじぶんごと》
26.
岸田首相の施政方針演説のニュースをテレビで見た中学生と高校生の我が子たちの会話が聞こえてきました。
「世界の人口が80億人にまで増えて食糧危機が問題になっているから、日本だけでも減りそうでよかったね」「国がやることなのかな。なぜ日本人だけを増やしたいの?」
これが「グローバルな視野を」「世界の一員としての日本人」と育てられた10代の感覚なのでしょうか。メディアでは「経済支援は子ども増につながるのか」が議論されているというのに、子どもたちの考えは全く違うところを漂流していたわけです。これはいかん。親として「なぜ少子化対策が必要なのか」を大いに語ろうと思ったのですが──。確かに、少子化対策って何が目的なんだろう。
よく見聞きするのは、高齢者の生活(主に年金や医療介護給付)を少人数で支えるのは難しいという議論です。これまでの「騎馬戦型」(1人の高齢者を現役世代2~3人で支える)が、近い将来「肩車型」(1人の高齢者を現役世代1人で背負う)になってしまう。そう示されると「大変だ。人数を増やさなくては」と思ってしまいます。
しかし、少子化の問題は「自分の受け取る額が少なくなったら困る」とか「支えるばかりで損しそう」などと言う狭小な次元の話ではないはずです。
子どもたちは「人が減るのなら、いままでの倍の結果を出せる機械や技術を作ればいい。そのためになら頑張る」「支え合う時に、日本人同士にこだわる必要がない」と話します。どうやら、子どもの数を増やすことが対策なのではなく、子どもが減ってもなお、社会の仕組みを維持できるよう、今までとは異なるシステムを作ることこそが「少子化対策」だと捉えているようです。
国の少子化対策は、1990年の「1・57ショック」を受け94年に策定した「エンゼルプラン」が始まりとされます。当時は「減ってしまった子どもを増やさなければ」と感じたであろう各世代も、30年も歳を重ねれば、立場も考え方も変わったはず。そして対策の「主役」はその後に生まれた若者たちの手に移ろうとしています。
各世代は今、少子化をどう捉え、何が必要だと思っているのでしょう。日本全体が一丸となってこの問題に向き合うためには、もう一度、その点を確認しあうことが大切なのではないかと感じたひとコマでした。
(大広 悠子)
前へ | 次へ |