わからなければ辞書を引け《記者のじぶんごと》

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 2007年に66歳で亡くなった父の口癖は「辞書を引け」でした。ニュースや新聞でわからない言葉を聞いても「辞書を引け」。教科書でわからないことがあっても「辞書を引け」。読めない漢字が出てきても「辞書を引け」──。「読めないから聞いているのに」なんて言い訳は通じません。

 「昭和のお父さんはそんなもの」と言われそうですが、そんな父にも一つだけ甘いところがありました。休日に家族で一緒に出かけると、最後に必ず寄るのは町の書店。漫画でも、小説でも、図鑑でも、子どもたちがほしがる本を必ず一冊買ってくれるのです。3人きょうだいでは、毎回結構な出費になったはず。それでも、私たちが選んだ本を見る父は、とても優しい目をしていました。

 「源平合戦に興味がある」と言えば、机の上に「平家物語」が置いてあったり、「中国古典に興味がある」と言えば、枕元に「論語」が置いてあったり。とにかく、本には出費を惜しまない父でした。さすがに小6に岩波文庫の論語は難しすぎて、途中で挫折してどこかに行ってしまったのですが。

 

 「コロナ明け」の夏休み。毎週末、各地のイベントで新聞の活用法などをお話ししました。ある図書館で行った、「いくつかのヒントを基に、親子で読売新聞の朝刊をめくりながら記事を探す」というクイズゲーム。付き添いのお父さん、お母さんも真剣に記事を探す中、あっさりと見つけてしまう小3の男の子に出会いました。

 「家庭ではどんな学習をされているんですか?」とお父様に尋ねると、「特別なことはやっていません。ただ、小さい頃から子供が読むような本は与えませんでしたね」と一言。野球なら選手名鑑、鉄道ならマニアが読むような大人向けの雑誌──。亡き父の「辞書を引け」を思い出し、「なかなか厳しいですね」と突っ込むと、「その代わり、わからない字や言葉はきちんと教えてあげますね」。

 

 この父にして、この子あり。

 

 さっそく、電車が好きな5歳の長男に、大人向けの鉄道雑誌を買って帰りました。パラパラめくって写真だけを見ると、「難しくて、読めないじゃん」と放り投げられてしまいました。

 

 ただ、面倒くさがっているだけなのだと思っていた父の「辞書を引け」。

 振り返れば、嫌々ページをめくる中で、たくさんの知らなかった言葉に出会ってきたように思います。その言葉の数々が知らないうちに「教養」となり、今の私を作る土台になってくれたのかもしれません。図書館での素敵な親子との出会いは、活字に親しむようになった原点とともに、父への感謝を思い起こさせてくれました。

 

 8月末に福岡県の実家に帰省し、母を連れて父の墓がある熊本県との県境までドライブしました。記憶を頼りに走るバイパス沿いの風景は、幼い頃とは大きく様変わり。ドラッグストア、家電量販店、ファミリーレストラン······。父と訪れた思い出の書店は、どれも違う店になっていました。

 

 

 「これも時代の流れだね」。少し寂しそうな母と墓参りを済ませて立ち寄ったショッピングモールに、小さな書店が入っていました。品ぞろえはお世辞にもいいとは言えない田舎の書店。そぞろ歩くうちに、目に入ったのは「論語」。「これも何かの縁」と買って帰り、ページをめくるうちに出会った言葉に、はっとさせられました。

 

 「父いませば其の志しを、父没すれば其の行ないを観る」(学而第一 十一)

 

 父が生きているうちは気持ちを想像し、亡くなった後は、父の行いの意味を考える──。何度も読み返すうちに、そんな意味に思えてきました。

 

 令和の今、さすがに、「辞書を引け」だけでは子供に嫌われてしまいます。わからなければ、一緒に辞書を引いて、一緒に考えられるような親になっていこう。改めて読み終えた論語を実家の仏壇に供え、父に約束しました。

(石橋 大祐


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(2023年9月15日 09:53)
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