だれかの宝もの《記者のじぶんごと》

37.


 新聞記者になって一番嫌な仕事は写真の複写だった。

 事故や災害で亡くなった人の写真を新聞に載せるために、家族にアルバムを借りて写真を撮る。悲しみの中にいる家族に写真を貸してほしいと頼むときには、こちらも身を削られるような思いになる。記事を書いているとファインダー越しに見た笑顔が蘇り、なぜ、自分が犠牲にならなければならなかったのか、と問いかけられているような気がしたことが何度もあった。

 入社して2年目だったか、国道で2歳の女の子が車にはねられて亡くなった。新聞や放送各社の記者が現場に着いたときには、女の子の父親が道路わきに呆然と立ち尽くしていた。父親が写真の複写に応じてくれて、自宅で各社の記者が順番にアルバムの写真にカメラを向けた。
 「わたしの......宝物だったんですよ」
 父親の声に、シャッターボタンを押す手が震え、写真の幼い顔がにじんだ。

 元日に起きた能登半島地震で多くの犠牲者や行方不明者が出ている。石川県警の警察官の男性は、珠洲市にある妻の実家に帰省中、妻と11歳から3歳の子ども3人の家族4人を失った。通夜と告別式を報じる1月15日の読売新聞朝刊には、妻と子どもたちの顔写真と祭壇の前に立つ男性の写真が実名とともに掲載されている。喪主のあいさつで男性は「かけがえのない時間を与えてくれてありがとう。生まれてきてくれてありがとう。永遠に僕の宝物だよ」と家族に語りかけた。

 実名で報じたり、顔写真を掲載したりすることにはさまざまな議論がある。SNSが普及して、是非を問うのはさらに難しくなった。慶応大学メディア・コミュニケーション研究所の津田正太郎教授は「SNS上では実名報道に対する批判が根強い。確かに、実名が報道されることで、まだ有罪が確定していないのに容疑者やその家族に嫌がらせが行われたり、被害者なのにバッシングを受けたりすることもある。それを踏まえると、実名報道への反発が広がるのは理解できる」と話す。災害や事件事故に限らず、ささいなことで実名がSNSで広がり、いわれのない中傷にさらされるケースは、ここ数年急激に増えている。「しかし、被害者の名前を伝えることで報道には強い説得力が生まれる」と津田教授は続ける。「実名が出なければ不祥事の隠蔽も行われやすくなり、第三者による検証も困難になってしまう」

 報じるときに実名か匿名かについては、メディアが慎重に判断しなければならないのは言うまでもない。ただ、取材するときに記者は、向き合う人の名前や顔を胸に刻まねばならない。語りかけてくる言葉に耳を澄まし、その顔を何度でも思い出す。それが、だれかの宝ものが失われないようにすることにつながると思うからだ。

(橋本 弘道)


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(2024年2月 1日 13:37)
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