高大接続改革の中核となる大学入学共通テストへの民間英語試験導入について、東京大学が9月26日、活用に扉を開く方針を大学ウェブサイトで公表した(>>PDF)。民間試験でA2レベル以上を示す成績を残すか、同等以上の力があることを高校が「証明」する調査書などを提出することを出願要件として併記している。調査書の提出は一見、民間試験を形骸化させる抜け道とも見えるが、実はかなりハードルが高い。高校教員が「書く・読む・話す・聞く」力について、「A2レベル以上」とはどの程度の力かを熟知し、生徒のふだんの様子がそれに合致しているかどうか目を凝らしていなければ書けないからだ。東大の決定は、民間試験活用だけでなく、高校段階での英語教育の改革まで踏み込んだことになる。五神真・東京大学学長がその真意を語った。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈、撮影・宮崎真)
■異見交論の熟議
――7月の答申※は民間試験活用に扉を閉ざしていたが、9月26日に発表した文書※※は活用に扉を開いたうえ、高大接続改革の実効性を高めることも目的にしているように見える。率直に考えを聞かせてほしい。
五神 高校教育改革の実質化に踏み込みたい。つまり指摘の通り、高大接続の原点に立ち返り、本来の改革としてその実効性を高めたいということだ。狙いはそこにある。接続改革は、高校と大学の教育を互いに連携を強めることで、現代の社会の変化を捉えた形に変えることだ。そのために接続点の入試を変える、という建て付けになっている。その原点に立ち戻るため、新たな扉を開けたのだ。
答申は、民間試験を全否定しているわけではなく、すでに一般入試での入学者選抜への活用を決めた大学にも意味がある問題、たとえば不祥事への対策を提起していた。答申で示された議論は本来学内での議論であるが、まだ実施までに少し時間が残されている中で、この内容は広く共有すべきであると判断し、異例ではあるが公開に踏み切った。その結果、議論が大きく広がった。「異見交論」でもずいぶん多様な意見を出していただき、一層、問題が明確になった。答申はそもそも入学者選抜に使えるか使えないかの、かなり絞った課題設定の中での議論を私が提起し、それについての答申であった。その結果、その後の議論において、活用の可否の二元論が前面に出過ぎ、その背後にある、より重要なポイントが隠れてしまうとことを懸念した。その点を、「異見交論」の読者の皆さんと共有したいと、改めて語ることにした。活用の可否ではなく、これから何をすべきかについて一定の結論を出したのが、今回の文書と受け止めてもらいたい。
――それが高校教育を変える、ということか。
五神 第2次安倍内閣の発足以来、政府は英語教育も含め、初等中等教育の大改革を進めてきた。最後の段階が、高校教育改革の実質化だ。高校教育の現場は大学受験に対する備えが中心になっているため、是非はともかく入試改革は必要だ。だが大切なのは、入試改革そのものではない。大学教育と高校教育の双方をより良いものに変えることだ。
※答申
学長の諮問を受けた学内の「入学者選抜方法検討ワーキング・グループ」が2018年7月12日に出した。「民間試験を活用しない」を最優先に掲げた。
※※東大が発表した基本方針
(1)大学入試センターによって「大学入試英語成績提供システム」の参加要件を満たすと確認された民間の英語試験(以下、「認定試験」と言う。)の成績(ただし、CEFRの対照表でA2レベル以上に相当するもの)
(2)CEFRのA2レベル以上に相当する英語力があると認められることが明記されている調査書等、高校による証明書類
(3)何らかの理由で上記(1)(2)のいずれも提出できない者は、その事情を明記した理由書。
――その根底にある危機感を聞きたい。
五神 デジタル革命の急速な進行によって、若者のコミュニケーションの手段が文字から写真や動画など画像中心にシフトし、言語そのものが極めて危機的な状況になっていると感じている。だから、「新聞を読んでほしい」とあえて東大入学式で呼びかけたこともあった。そのメッセージはグローバルな視点の養成を願う気持ちから発したものだが、それ以前の問題として母国語である日本語の危うさが相当深刻になっていることを痛感している。
都立両国高校の布村先生のコミュニケーション力を高めるための取り組みは、大変すばらしい(>>vol.51)。その布村先生が、東大の二次試験の出題意図が不明だと指摘していた。一方、埼玉県立浦和高校の校長だった杉山先生は、日本語と外国語の往還を試しているのだと指摘していた(>>vol.52)。どちらも重要な指摘だと思うと同時に大学からのメッセージをより明確に伝えることの必要性を感じた。
今回の議論を契機として、私自身も学内の英語教育や英語学の専門家だけでなく、国語の専門家とも議論した。私は物理学者なので、あいまいさのない明確かつ簡潔な言語表現が重要だという教育を受けてきた。しかし、言語やその教育にはもっと深さと広がりがあると改めて認識した。
異なる言語間の差異を理解するということは、文化的な背景の異なる相手ときちんと意思疎通を図る上では極めて重要だ。たとえば、最近ある議論で「Society」と「社会」という言葉の範囲や意図は必ずしも一致しないということを痛感した。その違いを文脈からきちんと読み取るのは、高校生にはハイレベルだが、大学入学前から意識して鍛えておかないと、グローバルな舞台で尊重される人にはなれない。
同様に、臨機応変に対話できる能力も重要だが、従来の入試では問うのが難しかった。日頃からそうした力を一所懸命、鍛えていて、その成果をみてほしいという布村先生の思いは、よく理解できる。高校の教育現場で頑張っている先生たちの背中を押し、その成果を大学教育としっかり接続するためにも、その方向に扉を開かなければいけないと感じた。
■不祥事対策
――英語の4技能を問うことには異論がないのか。
五神 「4技能」という表現には違和感がある。言語は「技能」で構成されているものではないからだ。「話す」「聞く」「書く」「読む」は「四つの力」と表現したほうがいいのではないだろうか。
話をもとに戻すと、答申は民間認定試験活用に慎重だったことから、話す力を入試で問う必要はないと誤解されたようだ。グローバル時代を生き、そこで活躍する若者は、四つの力をバランスよく鍛えておくことは不可欠であり、答申もその目的自体を否定していない。そして、より高いレベルの、言語を往還できる力も重要だ。市民的エリートである東大生としての最低条件だ。だから「話す力」を入試でも問うことは重要だ。
すでに入試でリスニングは行われている。何十万人もの受験生にリスニングを課せるのも日本のテクノロジーがあればこそで、実は驚異的なことだ。センター試験の入試監督を何回もしたが、リスニング試験が分秒たがわず、全国で公平公正を担保して行われていることは、日本でないとなかなか難しい。芸術的な産物といっても過言ではないだろう。だが、さすがにセンター入試規模でのスピーキングは難しい。
そこで浮上したのが、民間試験活用だ。入試が人生に与える影響はとても大きいので、プロセスの誤りは最小でなければならない。だから、国立大学協会の総会で2017年11月、この問題について議論し、懸念事項をたくさん出した。しかし回答を全く得られない中で、入試の2年前にルールを出さなくてはならないため、3月に国大協としてのガイドラインを出した。しかし、その間に、入試の公平公正性を問う不祥事が複数発覚した。
――京都大学、大阪大学の問題か。
五神 どちらも私の専門に近い物理の問題だった。選択科目の、1点が問われたミスで30人の人生に影響を及ぼし、大ニュースとなった。1点刻みではない入試、多様な評価軸を世の中がもとめそれを実現することを掲げた高大接続改革が進む一方で、世論は引き続き、公正さや1点の厳密性を強く求めていることを実感した。つまり逆方向の二つの力が同時に強く働いたのだ。そこで国大協の3月総会でこうした状況もあるので、私はあえて、いま一度見直した方がいいのではないかと発言したが、11月総会で発言せず、いまごろ問題を提起するのはおかしいと糾弾される学長もいた。それはその通りであるが、そのままやり過ごすともっと無責任になると思っての発言だった。そこで、国大協等でのこれまでの議論を尊重しつつ、11月以降の状況変化を踏まえ、東大としてどうすべきかの検討を進めてきた。
――なるほど、そういう経緯があって、議論を始めたのか。
五神 国立大学は共通一次時代から入試改革を主導してきた。中でも東大は先導的な役割を果たしてきた。東大は1988年、センター試験より18年も早くリスニングを導入している。私は導入前と後の東大生を指導する機会があり、導入の効果を目の当たりにした。入試がリスニング力向上に効果があったことを実感している。私たちの学生時代よりも今の学生の方が生の英語への対応力ははるかについている。修士課程の学生が国際会議で口頭発表を堂々とすることができる。私たちの時代は、偉い先生が原稿を読むのが一般的だった。
スピーキングについても、高大の接着剤という効果は大きいだろう。適切な形で入れることが望ましい。だが答申が指摘するように、公平公正の観点から信頼を揺るがすような事態が起きたときに誰がどう責任をとるかは、実施前に明確にしておかなければならない。何よりも、受験生がきちんと保護される体制が必要だ。
――答申に応じる形になったのが、文科省が8月28日に出した文書だった。業者の行った試験の責任は業者にある、と書いていた。
五神 たとえばトラブルが起きた、点数を間違えたということが、数か月後にわかったとする。その結果、合否の判定に狂いが生じることになっても、それぞれが実施している範囲について責任を負うことが原則であり、大学入試センターや大学が責任を負うことは基本的には想定されない、と言ったのが文科省文書だ。
制度・法律的にはそうかもしれないが、業者の責任が明確になったとしても受験生はどうなるのか。きっと混乱が起きる。30人規模であれほどの混乱が起きたのだ。学年60万人規模であれば、どのような事態になるか。絶対ミスがないようになるまで改革はしないとなったら、改革はできないが、ミスやトラブルがあったときに合理的に処理できる責任関係の明確化は不可欠だ。本来ならば、文科省や入試センターが音頭をとって議論を煮詰めておくべきことで、少なくとも1大学が議論すべき事柄ではない。しかし結局、WG答申まで先送りされた。
これはもっとも重要なことなので、東京大学総長として林文科大臣に要望書を提出することにした。それに対し林大臣が責任を明確にしてくれた※。
60万人を対象とした試験が滞りなくできるのかどうか、まだ懸念は残る。地域の格差、経済格差の解消も残されたままだ。そのための状況確認と協議の場を設けることについても大臣は明言された。残された時間で修正をしなければならない。2021年度入試に向けて、改革の扉を開くことが責任だと思っている。
※林文科大臣のコメント
大学入学共通テストの枠組みの中で活用される民間の資格・検定試験において、仮に採点ミスやトラブルが発生した場合、(略)文部科学省および大学入試センターには当然、第一義的に責任を負う実施団体を指導し、大学と一致協力して、全力でその事態の収拾に努める責任がある。今後も、高校、大学等関係団体および試験実施団体の意見を随時聞けるよう、例えば高等教育局長の下に継続的な意見交換の場を設けることを検討したい。
――東大学長としての責任だと。
五神 いろいろな経緯があって、東大の判断が注目されボールを私が持つような格好になった。すでに文科省や国大協のガイドラインがある中で、未来を担う受験生への責任を果たすべく判断をすることになった。これまで入試改革の節目で東大が果たしてきた役割を考えると、真の高大接続改革を前に進める責任がある。結果として民間試験の活用の路を開くことになったが、それはWG答申と一見逆に進んでいるように見えるが、そうではない。前提と本来の目標を丁寧に検証する中で、この手法は使えないといって扉を閉ざしてしまうのではなく、扉を開ける方策を私たち自身で見つけることが出来るはずだと考えた。そして、いまは全学一致で扉を開けるための合意ができた。ナショナルテストとしてみんなが使うのだから、扉を閉じないためにどう設計するかが最大の難問だった。そこで私たちは、まず、スピーキングを含めた総合的な英語力を入学出願の要件とするということを第一に考え、そのためのメッセージを受験生に伝えようと考えた。
出願要件とするのなら、諸般の事情で民間試験の成績を使えない場合にどうするかという問題が生じる。そのとき頭に浮かんだのは、「>>異見交論51」の両国高校の先生の記事だった。一所懸命、英語の総合力を鍛えている生徒が現場の教室にいる、それを語れる証拠もある、それが調査書だと。高大接続改革の中で調査書を重視しようという流れがすでにできていた。ペーパー試験だけでは測れないものを補う資料として活用しようと。リーダーシップだとか思いやりがあるとかだけでなく、学力でもペーパー試験で測れないものがある。その一つがスピーキングの力だ。
■調査書が問うものは
――なるほど。民間試験活用と調査書を相互に補うという発想か。たしかに、両国高校の布村先生は、答申を読んで「こんな調査書を書ける教員は少数派だ」と指摘していた。4技能の「A2レベル」とはどんなレベルなのかを熟知し、しかも生徒の成長をきちんと把握できないと書けない、結果的に多くの教員は民間試験活用に傾くだろうと予想していた。だがその一方で、適当に書けば出願要件になるから、スピーキングも含めた総合的な英語力育成を骨抜きにできる、と見る向きがあるのも確かだ。
五神 現在はまだ始まっていないのだから、調査書は書けない先生が多いだろうというのも仕方ないが、先生方はきっと期待にこたえてくれると信じている。民間試験活用の道を開く真の目的は、高校と大学を通じて、異なる言語間の差異を理解したり、臨機応変に対話したりできる能力を育むことだ。学習指導要領もそれを目指して改定されたはずだ。この教育改革を実効性あるものにするためには、民間試験と調査書を相補的にうまく活用することが欠かせない。民間試験も鍛えられ進化するだろうが、調査書の工夫・改善は高校教育改革の本質であり、これから高校教員も布村先生のように、真正面から授業改革に取り組むのだと思う。
――とはいえ、高校の先生たちにとって、ここに書かれた調査書のイメージはつかみにくいだろう。
五神 今年12月までに調査書で明記されるべきポイントとその表現の考え方を明確に示したい。総合的な英語力養成に真剣に取り組んでいる先生なら、苦労なく調査書も書けるというようなガイドを示せれば、高校教育に良いメッセージを伝えることができるのではないか。
――確認だが、「A2レベル以上」は最低限という意味でいいか。
五神 「A2レベル以上」は教育振興基本計画※に具体的に出てくる数字だということもあって使っているが、「東大はA2レベルでいい」ではない。
私たちの学生時代よりも英語力が向上しているとは言え、世の中の変化のスピードは速い。グローバル展開力をよりいっそう鍛えなければならない。東大で実際に英語を使う場面で私たちが期待するのはもっともっと高いレベルだ。そこを正確に理解してもらえるよう伝えないといけない。東大入学後の様々な学びの場面でどのレベルに達していないと授業には臨めないかも積極的に伝えていく。
※2018年6月、第3期教育振興基本計画では高校卒業段階で5割以上がCEFRのA2レベル以上の英語力を身につけておくべきことを閣議決定した。
■ゼロベースの起点
――国大協でのやりとりは理解できたが、それまでにも議論の見直しを提言する機会はあっただろう。
五神 2015年3月、最初の高大接続システム改革会議に出席した。東大学長に就任する直前で、大学関係者として、京都大学の山極寿一学長と私がメンバーに加わった。そのとき、高大接続改革をやるのであれば、入試の議論に矮小化するのではなく、全体を見渡し、何をすればより効果的・合理的な改革を進めることができるのかを議論すべきではないか、と発言した。それに対し、座長から「そこの議論は既に終わりました」との発言があった。メンバーが替わるたびに蒸し返していたら議論は進まないから、致し方ない。同時に、不退転の決意でこの改革を進めている情熱も強く感じたから引き下がった。ただ今にして思えば、あの時期であれば、まだだいぶ時間があったから、もう少しきちんと掘り下げることは可能だった、と反省している。
――根底にあったのは、3年前の五神先生自身の反省か。
五神 そうだ。遠慮しないで、少なくともそれまでの議論をもう少し確認するべきであった。その後、高大接続システム改革会議では英語民間試験の活用についての議論はほとんどなかった。記述式の採点をどうするかに時間が割かれるなど、入試の技術論が多くなっていた。そこで、私は何度か意見を述べていた。その一つがAIの活用だった。実施まで数年の時間がある、一方、いまのAI技術の進歩は目を見張るものがあるから、記述式の採点もAI技術の駆使で自動採点するのは可能ではないかと提案した。
また、二つの観点からメリットがあるとも。一つは、機械があるルールの下で正しく解釈できる日本語をちゃんと書けることこそが、大多数の高校生がクリアすべき試験としてまず必要だと考えたのだ。主語・述語、文節など、現代国語の所作を習得するためには、センター試験のようなナショナル試験を活用することは極めて合理的だ。このような日本語を機械がきちんと理解して、評価できるシステムを開発するには、お金もかかるだろうが、2020年のオリンピック・パラリンピックを考えれば、きっと大きな成果も得られる。機械が正しく理解できる日本語は、何語にも翻訳できるからだ。それには、英語圏で技術開発するよりは日本語圏で開発する必要がある。日本語のスキルをアップすること、それからシステムを開発することが、入試改革とタイアップしてできるのではないかと。それは異見交論でも披露したが、残念ながら議論として発展しなかった......。(>>vol.25)
■誰に何を求めるか
――この基本方針で誰に何を求めているのか。
五神 「読む」、「聞く」、「書く」、「話す」の総合的英語力をバランス良く鍛えるという流れをしっかりつくらなければいけない。高校の先生や生徒の皆さんに一緒に取り組んでほしい。バランス良く鍛えているか、学んでいるかをチェックするために民間試験を受けてみることは悪くない。民間試験である段階をクリアすることやより高い点を取ることが目的化してはいけない。東大に入って、たとえば交換留学に参加しようとすると、B2やC1レベルであることを証明しなければならず、証明には民間試験を受けなければいけない。高校段階でトレーニングを受けていれば、慣れておくことができる。だが、高校段階でB2とかC1レベルの成績をとるためにたくさんの時間を使うことはよいのか。ほかにやることもある。地域の格差もある。それに加えて東大がこれまで外国語試験で重視してきた、日本語と外国語の往還の力は、多様性を活力とした人類社会の発展のために、ますます重要になる。外国語に限らず、"多様性を尊重する精神"をきちんと備えることは、東大入学の前提として、アドミッションポリシー(入学者受け入れ方針)の中の最重要項目だ。
――高大接続で描く未来像は。
五神 いまは大きなチェンジの時期を迎えている。チェンジは心地よくないから、恐れるという防御反応が起きがちだが、東大の学生たちには、チェンジを楽しみなさいと伝えている。大きな変革期、たとえば明治時代、そして高度成長期は、日本が何をすべきか明確な時代だった。シナリオに沿ったトレーニングをしておけばよかった。
これからは、求められる能力が突然変わるということが普通に起こるだろう。そういう事態への対応力、新しいものにチャレンジできる能力が大切だ。東大に入ったことが「ライセンス」だった時代ではとうにない。そこをきちんと踏まえ、自分を鍛えてきてほしい。
――今回の文書に「国立大学法人としての責任」と書かれていた。どのような責任か。
五神 日本の高等教育の全体を担う中核としての責任だ。いまの時代は、国立大学が日本の高等教育を担っているのだから全部税金でやってくださいという状況ではないが、役割の重みは変わらない。日本の高等教育システムを教育側として主体的に考えるのは、やはり国立大学のミッションだ。東大は日本で最初にできた国立大学として、これからも日本の高等教育全体の向上を担っていかなければならない。
おわりに
五神学長がいろいろな経緯で「受け取ったボール」を、今度は高校側に投げた。4技能をきちんと育てる授業を実践して培った力を証明せよ、と。同時にそのボールは、東大側にも投げられていると思う。その調査書の真偽を見極めるのは、東大自身だからだ。いい加減な調査書を受け取ったら、総合的な英語力の育成などおぼつかない。また、東大の英語教育を見直す必要も出てくるだろう。五神学長の話に出てきた両国高校の布村教諭は「うちの生徒はCEFRのB2レベルで出願させる」と意欲を燃やしている。英語力を高レベルに磨いた学生が、東大授業の現状をどう受けとめるか。このキャッチボールから当面、目が離せない。(奈)
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