田中センセイの徒然日誌[77]円形の思い出

[77]円形の思い出

 

 円形校舎って、知っていますか。

 見出しに懐かしい言葉を見つけて、記事と写真に、思わず目を奪われてしまいました。「消える円形校舎 データ化 小学校現存5校 三重・朝日町 寄付募り後世へ」(2025年1月23日読売新聞夕刊)。1950~60年代に全国各地に建てられた円形の小学校校舎がほとんどなくなり、数少ない現存校舎の一つの姿を3Dデータ化して伝える動きがあるという話題です。

 

 実は、わたしが卒業した千葉県内の市立中学校は、円形校舎でした。廊下がらせん状の坂道になっていて、校舎の真ん中は吹き抜けです。廊下に球状の物を落とすと転がっていきます。教室内も傾斜がついた造りだったような記憶があります。インターネット上の情報によると、1979年に取り壊されていたようです。

 

 教員としては6校舎で勤務しました。このうち4校舎がすでに改築され、1校舎が中学と統合されて移転しています。校舎の記憶は、思い出そのものです。教室を飛び出した子が、うずくまっていた階段。子どもたちが雑巾がけレースをしていた廊下。そして、笑い声も泣き声も絶えず、にぎやかだった教室。思い出ひとつひとつの背景に、当時の校舎が浮かんできます。

 

 旧校舎が取り壊されるとき、その壁に感謝の言葉やイラストを書き込むお別れのセレモニーが、各地でよく行われます。卒業生や地域の方が思いを込めた「最後の落書き」には、胸を打たれます。もう46年前になくなっていたらしい円形校舎は、わたしの中学校時代そのものです。そんな思いが、きっとこの記事に目を向けさせたのでしょう。

 

 時代とともに、さまざまな物事が変化していきます。でも、心の中の思い出は色あせません。すべて良い思い出とはいかなくても、あの日、あの時、あの場所で、自分が確かに生きていたことを振り返り、考えることができます。

 

 最後に校長を務めた学校の校舎も、とうとう壊され、先日は新校舎の落成式が行われました。旧校舎を思い出して感傷にふけるわたしをよそに、いまの教師や子どもたちは、新年度から新しい校舎で、たくさんの思い出をつくっていくことでしょう。うん、それでいいんです。 

 

 

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田中孝宏 読売新聞教育ネットワーク・アドバイザー

1960年千葉県船橋市生まれ。元小学校長。「ブラタモリ」にならって「ぶらタナカ」を続けている。職場の仲間や友人を誘って東京近郊の歴史ある地域を歩く。「人々はなぜ、この場所に住むようになったのだろう」と考えると、興味は尽きない。

 

(2025年3月14日 11:00)
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