沼田 晶弘
第9回 みんながティーチャー(2)
あけましておめでとうございます。いよいよ6年生最後の3学期がスタート。今年もよろしくお願いします!
♣卑弥呼は美白?アンドロイド?
ボクたちのクラスで「ティーチャー系プロジェクト」、つまり子どもたちによる授業が初めて行われたのは昨年6月2日です。プロジェクト名はSTT=聖徳太子ティーチャー。その少し前に、男の子1人、女の子2人の3人組が、「ぬまっち、今度聖徳太子やるでしょ?自分たちで授業やってみたいんだけど」と言いに来た。ほうと思って、「面白そうじゃん、やってみよう」とボクは答えました。
それまで、歴史の授業は例年通りにやっていました。とはいえ「沼田式授業」なので、教科書どおりじゃありません。縄文・弥生時代の後、邪馬台国の卑弥呼を取り上げる時に、こんな宿題を出しました。
「卑弥呼って実は謎だらけなんだ。女王になってからほとんど人前に出なかったらしいし、確実なことは何一つわかってない。本当にいたかどうかさえわからない。今の卑弥呼像は、いろいろな研究者が史料の断片から推測した『仮説』に過ぎないんだよね。だからキミたちも卑弥呼についての『仮説』を立てよう!」
どんな仮説でもボクは受け容れるけど、ただの妄想じゃダメ。その仮説を導き出した「根拠」をちゃんと調べてね、と言って。
で、全員にノートに書かせて提出させた。それがけっこう面白かったんです。
【卑弥呼美白説】
「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は中国・魏の皇帝から100枚の銅鏡を贈られた。京都で出土した「三角縁神獣鏡」がその鏡だという説もある。銅鏡は現在の鏡と違って、茶色く曇っているため、それで自分の顔を見た卑弥呼は「ヤバ、ガングロすぎ!」とショックを受けた。王といえども一人の女性、卑弥呼は美白肌を大切にしていたため、日焼けを恐れて、一切外に出なくなった。後世の史料が少ないのはそのためである。
【卑弥呼アンドロイド説】
最初、倭国には男の王がいたが、国がまとまらず内乱が絶えなかった。タイムマシンでそれを見ていた未来人が、「あいつら大丈夫?政治のやり方がわからないんじゃないの?」「このままだとオレたちの未来も消えちゃうよ?」と心配して、女性型アンドロイド=卑弥呼を送り込んで女王にした。(ドラえもんか!)機械であることがばれないように、彼女の言葉は常に「弟」(のび太?)を通じて伝えられた。だから誰も卑弥呼の正体を知らなかった。
♥自分で調べて発表するのは面白い
まあ笑っちゃう説ですが、銅鏡にせよ、倭国の乱にせよ、「魏志倭人伝」に書かれているので歴史的根拠はある。その上でオモシロ話を作っているから、「仮説」になってるとボクは思うんです。
子どもたちもこれが楽しかったらしい。きっと調べているうちにたくさんの「へえ」があったんでしょう。だから、この卑弥呼授業は、勉強という意味では前の晩に目的を達しているわけです。本番の授業はお披露目でありデザート。全員がオモシロいわけじゃなかったけど、あまり調べてこなかった子は、他の子の発表を聞いて「こうすればよかったのか」と刺激を受けたはずです。
この卑弥呼仮説授業が、ティーチャー系プロジェクトのきっかけになったと思います。自分で調べて、知識を増やしていくことは面白い。「なるほど、自分で勉強するにはいいシステムだ」と子どもたちが気づいてくれたんですね。
正直、最初はどうかなと思ったんですが、彼らは彼らなりにけっこう面白く組み立ててくる。授業で使うパワポは学校のコンピュータールームで作っていて、その出来には大人でも驚くと思いますが、今の小学生は少しコツを教えると、このくらいすぐできてしまうんです。
♠目に涙をためて「もう一度やらせて!」
聖徳太子ティーチャーの後は、メンバーを変えながら、歴史の授業がどんどんプロジェクト化していきました。
FMT=藤原道長ティーチャー
TKT=平清盛ティーチャー
YYT=(源)頼朝義経ティーチャー
HMT=北条政子ティーチャー
HTT=北条時宗ティーチャー
ATT=足利尊氏ティーチャー
AYT=足利義満ティーチャー
うまくいく時ばかりではありません。尊氏ティーチャーの時は、よく調べているんだけど情報がブツ切れで流れを見失ってしまい、聞いている子どもたちから「よくわからない」と言われたメンバーが、目に涙をためながら「もう一度やらせてください!」と言ったこともあります。
彼らは後日、授業をやり直して見事リベンジを果たしました。
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沼田先生略歴
ぬまた・あきひろ 1975年東京生まれ。東京学芸大学教育学部卒業後、米インディアナ州ボールステイト大学大学院でスポーツ経営学修了。2006年より東京学芸大学附属世田谷小学校教諭。現在は6年生担任。生活科教科書(学校図書)著者。企業向けに「信頼関係構築プログラム」などの講演も精力的に行っている。