SDGsトーク 特別編 2/9「ブータンでの気づき」

山藤旅聞先生

 新渡戸文化学園小学校・中学校・高等学校(東京都中野区)の山藤旅聞先生と、田中孝宏・読売新聞教育ネットワークアドバイザーとの対談「SDGsリレートーク『じぶんごと』からはじめるために」特別編。第2回は、国や人のために熱心に学んでいるブータン人の姿勢を知って受けた衝撃を、山藤先生が熱く語りました。

 

まとめ:住吉由佳(教育ネットワーク事務局)


1<<

 

社会課題から入る SDGsはあくまで手段の1つ

 

田中 プロジェクト型ラーニングというのは日本ではあまり行われていなかったけれど、僕は「総合的な学習」が入ってきた2000年に、プロジェクト型ラーニングが主であるべきだと気づきました。いろいろな教科を超えて1つのプロジェクトをやっていき、その中でいろいろなものが学べるという形が、本当の教育だろうと思ったんですよ。そういうのをやるために、校長になった。未だに将来の夢は、学校を作ること。

 

山藤 僕も学校を作りたいです、いくつも。それは、今の教育に疑問を持っているからです。日本の教育を変えていきたい。そう思うからです。今の日本の教育は、進学や、考査、成績で良い点をとることを目的とする教育が目立ちます。もっと未来を見つめ、未来を生み出すための教育をしていきたい。そう思う中で、SDGsを手段の一つとして活用しようと思うようになりました。

 SDGs教育を目的とせず、もっと広い意味での教育の本質というのがありますよね。でも、SDGsは、社会と教育の接続とか、本物の課題からの必要な学びを考察する時に、とても便利なツールになります。

 

田中 結局、SDGsはそもそも目標で、目標は置いておけばいい。でも、活動は別なので、その活動をどうするか考えたら、今の教科教育のような単発のやり方では、なかなか難しい。SDGsをやるなら、教科を横断させながら、各教科を手段として、まず子どもたちが主体的に学んでいくプロジェクトのベースを作らないとできないですね。

 

「国のため」「人のため」 ブータン人の学ぶ姿勢に衝撃

 

山藤 僕は理科、生物の教員として、公立時代は理科を楽しく、誰にでも分かりやすく教えたい、とまず考えていました。でも、どこかで違和感もありました。僕の授業は楽しいけど、別の授業では楽しんでいない。その後、進学校に異動し、自分で勉強できる子たちがたくさんいた時に、「僕の仕事は何なんだろう」という気になったんですね。

 その当時は、教科書のさらに先にある、理科の学びのアカデミックさに、つまり高大接続に注力していました。でも、理系の選択生物に進んできた子たちはいいですけれど、残りの文系進学を希望する生徒には、受験のツール以外に、生物を教わる理由があったのか、と。大学センター試験で使うからとか、それ以外に、教科教育を学ぶ意義をちゃんと伝えられていたかな、と自問自答し始めた。

 高大接続の要素はゼロにしちゃいけないけど、もっとやらなきゃいけないことがありそうだぞ、と思っている時に、JICA(国際協力機構)の仕事で、途上国に理科の教育を教えるチャンスを得て行ったら、びっくりするくらい勉強していたんですよ、ブータンの子たちが。

 

田中 10年くらい前でしたね。

 

山藤 はい。2012年です。そこの子どもたちが、日本で見たことのない学びの姿勢でした。寝るとか、ぼーっとする子は、まずいない。必死に学びを、一言一句拾う感じ。すさまじい勉強の仕方でした。「なぜそんなに勉強するの」と聞いたら、「国のためです」と。利他的な思いが感じられた。未来を予測して学んでいる感覚も感じられました。

 一方で、日本の子どもたちに、「なぜそんなに勉強するの」と聞いたら、「大学に合格するためです」とか、「医者になるためです」「弁護士になるためです」とか。日本の子たちは「手段」を言ってしまう気がするんですよ。大学も職業も全部「手段」。「手段」を活用して、どう社会に生かすのかを語れる教育ができていないなあ、と思ったんです。

研修で訪れたブータンで、ホームステイ先の高校生と一緒に洗濯をする山藤先生(2012年)

 

1<< >>3

(2020年8月19日 16:30)
TOP